ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

世論形成のための指南書

(https://twitter.com/ituna4011)
Lily2‏@ituna4011 26s
アメリカに学ぶ市民が政治を動かす方法』 バリー・R. ルービン (http://www.amazon.co.jp/dp/4535583129/ref=cm_sw_r_tw_dp_MLYNrb071HX0N …)が届いた。日本評論社で訳者はマレーシア関連で存じ上げていた方。立派なご経歴の訳者ばかり。中東関連のルビン教授かと思って注文したが、どうやら別人のようだった。一安心。

ルビン教授(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130503)については、ダニエル・パイプス先生がよく引用されていたので、「お友達リスト」を見てフィスブック友人に申し込んだところ、即座に快くお返事をいただきました。ちゃっかりご自分の最新著書を宣伝に組み込んでいたあたり、フェイスブックの本当の目的は何かがうかがえます。結局のところ、アメリカなどでは、既に紙媒体ではなく、パソコンを駆使して自分でそれぞれ「センター」「シンクタンク」を設立し、責任者には「ディレクター」の肩書きをつけて執筆やメディア出演の言論活動にいそしみ、世論形成を目していらっしゃるようなのです。
それに、日本では従来、アメリカは英語優勢で世界中の人々を英語一本に吸引していると批判する論考をよく目にしていましたが、実際のところ、中東研究者の場合、パイプス先生もルビン先生もパイプス門下の若手研究員の人達も、アメリカやイギリスの大学所属で英語で論考を発表していても、大抵、トルコ語訳やアラビア語訳などの多言語翻訳がついています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120606)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)。さすがに本数はパイプス先生に比べて格段に少ないものの、現在では当然のように、自分の論考がどれほど翻訳されるかが評価の一つにもなっているようなのです。そして、アメリカやイギリスやイスラエルの新聞のみならず、カナダやオーストラリアはもちろんのこと、トルコやイタリアやドイツやスペインの新聞にも論考が掲載されているようです。パイプス先生の場合、定期的に継続して翻訳が紙媒体に掲載されているのは、イタリア語とスペイン語だそうです。
このように、日本国内だけを見ていると案外盲点だった新傾向を学べたのが、やはりダニエル・パイプス先生から「日本語は別扱いだよ」と訳業を依頼されたおかげ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)。最近、お金のかかる本格的なプロ翻訳者と、訓練を受けていない素人か機械翻訳の中間ニッチを埋める翻訳会社‘gengo'が設立されたと雑誌(『週刊 東洋経済』(2013年4/27−5/4)pp.25-27)で読みました(http://ja.gengo.com/translator-team/become-a-translator/)。これは登録制で、会社が要求する試験に一定水準以上で合格することが条件だそうですが、インターネット記事のような翻訳を依頼するには、プロの翻訳家は高価で頼みにくく、かといって素人では心許ないという場合に、付加価値としても報酬料金としても手頃なのだそうです。
では、私の場合はどうなるのでしょうか?昨年の2月頃、主人と話していたのが次のようなこと。
「どうして日本語は4本だけで止まっているんだろう?日本人は自分で英語を直接読みなさいってことかな?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505
「本当に日本語訳が欲しかったら、お金を払えば翻訳会社がやってくれたのに、放置してあったということは、パイプス氏は日本にそれほど興味がなかったんだよ」
「じゃ、私の訳業依頼は、どういう位置づけになるの?」
「それは、向こうから頼んできたんだから、考えが合うし、自分の見解を日本にも広めたくなったということじゃないか?」
「だけど、私程度の英語力の人なんて、世の中にごろごろいるんじゃないの?どうして私なのかなぁ?」
「英語だけの問題じゃないよ。誰でもいいってわけじゃないよ」
「だけど、会ったこともないのに、どうやって信用できるの?日本語だって、きちんと訳せているかどうか、誰が確かめるの?」
「そりゃ、だいたいわかるさ。メールでやり取りしていて、英語でここまで書けるならば、当然、自分の母語ならもっとできるってことだしさ」
...確かに、言語能力だけで「もう日本語は不必要になった」と簡単に切られるような事態は避けたいので、最初から、単に訳すのみならず、いろいろと内容関連の質問をしたり、引用されている他の論客を調べて、興味があればフェイスブックでつないだり、メーリングリストを申し込んだり、紹介されている書籍を読んだりしています。雲が晴れるようにどんどん広がっていき、重苦しいテーマながらも学びそのものは楽しく、やりがいを感じていますが、結局のところ、保守的で親イスラエル派のユダヤ系の論客は、大体、イスラエルパレスチナ問題に関して方向性が同じ。しばらく経つと、ニュースソースが相互重複していることに気づきます。昨年の春頃から夏にかけてが最も大変でしたが、この頃はパターンがつかめてきて、(あ、もうそろそろ、この事件発生に関するブログが流れてくるでしょうねぇ)と予測がつくようにもなってきました。
と、話は大きく逸れてしまいましたが、何人かのお仲間学者達のブログやツィッターフェイスブックを見ているうちに、(それもこれも「市民が政治を動かす」手法としての活動なのでは?)と感じるようになったのです。いわば、ソーシャル・メディア論法。特に、パレスチナの方も負けず劣らず、おどろおどろしい映像をしつこく流し続けているので、日本語であろうが何であろうが、自分達の立場に共鳴してくれる人ならば気軽に巻き込んで、少しでも賛同者を広げなければイスラエルが消滅してしまうかもしれない、という危機感があるのでしょうか。
というわけで、上記の本を注文した次第です。別人であったとしても、アメリカが舞台だということで、きっと参考になることでしょう。