ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

人知を超えた奇しき業

昨晩のエルサレムとの交信。
今月、イスラエルと日本の関係強化のために、ネタニヤフ首相が公式来日されたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140523)、その際「日本とイスラエルは相補関係にある」ことを示唆された。これは何ら初耳ではなく、実は今の女性大使が着任された際に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131018)既に知らされた見解である。
アジアで最も早く、建国直後のイスラエルを承認した日本。両国は同じく、地理的規模は小さいが、独自の伝統文化を有する歴史の長い国であること、教育熱心であること、自然との共生を目指した国造りと同時にハイテク立国であること、近隣諸国(イランと北朝鮮)からの脅威に直面していること、いずれも民主的な資本主義社会で、それぞれの地域内で最も安定し、自由で繁栄している、という共通項を共有している反面、その国民性は好対照である、と。国土を追われて世界各国へ移住を繰り返してきた民族史から、適応上手で自信過剰で、イノベーションが好きで、起業家精神に溢れているイスラエル。一方、一つの島国として古来から定住してきたために、規律正しく、細かな面まで完璧を求めて高品質なものを作り上げる日本。
この両者が相互を充分に理解し合い、協力を進めていけば、非常に新たな境地が開け、両国のみならず、各地域および世界に新鮮な貢献ができるのではないか、とのご提案であった。
まさに、かなり前から私が感じていたところであって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131210)、やっと念願叶って、政治指導者の言葉で具現化に向けての方向付けが発せられた、という段階に至った。大変喜ばしいことである。
さて、エルサレムに戻る。しばらくむくれ気味だったレヴィ君(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140513)。4月上旬、私が「この二本を送信したらすぐに、東京経由でニューヨークに向かいます」と上司宛に書き添えたことを踏まえて、何とこちらが到着した頃を見計らって、「まだ見落とした訳文、あったかなぁ?」などと、いたずらっ子メールを寄こしてきたのだった。恐らくは、昨年秋にエルサレムで上司たる「友達」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(客観的位相は明確なのに、その内実関係の表明がややこしくなった)から、「どうして三ヶ月も訳文投稿作業を溜め込んでいたのか」事情を探られ、厳しく注意されたらしい。「友達」の説明によれば、「仕事を一人で抱え込み過ぎて、滞っていたようだ」「アシスタントを雇えってアドバイスしたんだけど、彼は人を信用しないんだ」と。
そんなこと、こっちの知ったことではありません!ともかく、訳文がきちんと届き、本人が元気で無事であれば、よろしい。
まぁ、そんなこともあり、この頃は、レヴィ君も私に向かって「提案」まで寄こすようになったのだ。もちろん、私の便宜を図ってというより、自分が楽に作業できるように、だ。(ここがいかにもユダヤ人らしい)
なぜならば、その「提案」、その昨秋に、上司たる「友達」が私宛に寄こした助言とは拮抗する内容だったからだ。

上司:一本ずつ訳文を送ってこないで、何本かをまとめて一度に送ってきなさい。
レヴィ:何本かを同時並行して訳さないで、一本訳したら見直し、編集し、そして送る。それから次にかかるんだ。その方が、お互いに楽だし、簡単だ。
私:対立する二つのご助言を本当にありがとうございます!

すると、さすがにここは「上司」たる「友達」の年の功の出番。早速、介入を。

「以前、僕が何を書いたか忘れたけど、今回は同意する。一気に大量に送るのは、彼にとってチャレンジだ」。

そうやって、米国・イスラエル・日本という三つ巴の関係を、同盟国同士としての外交面のみならず、実質的に、共同作業の中でも良好に保つ努力が必要だという示唆だと解した。
さて、では私はどうしたか。一気に25本を送信することは事実上無理で、やはり見直しに見直しを重ねながら、せいぜい短編を3本ずつ送るのが妥協案としては最適だ、という結論に落ち着いている。
「それでいいかしら?負担にならないといいんだけど」と、私からエルサレムに念押しした。
「それはともかく、ウェブ上の国旗の順位が早速変わったわね。昨日までは日本の旗がスロヴァキアの旗の下にあったのに、今は同じ訳文数になったら、日本がスロヴァキアの上に位置づけられたのね」。私としては、国旗の順位を上げるには、まだ頑張らなければと密かに目標を立てていた。ほとんどオリンピック感覚だ。でも、さすがに目敏いイスラエル人、先回って、日本をスロヴァキアの上に立ててくれたのだ、と思った。
ところが、ここでも、ほっとした途端、突然脇の甘くなるユダヤ人のかわいさが出た。上司たる「友達」とまるで一緒だ。旧約聖書に出てくる物語を地で行くような話だ。
「え?何のこと?国旗の順位って何だ?」ときた。
は?ウェブ管理がお仕事でしょう?そういう風に公表されていませんか?
そこで、少し説明した次第。すると「やっとわかった。そうなんだ。あれは手作業じゃなくて、自動的に旗が動く仕組みをプログラミングしておいたから、言われたことの意味がわからなかった」。
そういうプログラム作りは私の領域外なので、本当に助かる。彼にとっては、それが収入源であり、上司のお仲間学者達や部下の若手研究員達のウェブサイトも作成しては、収入の糧としているらしい。私から見ると、きれいなサイトだが、どういうわけか、皆さん同じパターンで作成されているので、誰がつくったかが一目瞭然。ついでに、ウェブ作成者として、本名の語尾を古代ローマ風に変えて署名代わりに使っているらしい。学のあるところを見せようとしているかのようで、何だか笑えてきた。要するに、自分から申し出た上司のウェブサイトは、最初かつ膨大な規模だったので、少しずつ改良を加えつつ、ページを充実させていったのだが、後に続く他の人々については、仕事量がまだ一回り少ないため、規模を小さめにして、同じ規格に組み立てればできあがり、というわけだ。節約モードとでも呼べそうだ。世の中うまく回っている。
ところが、極東の私ときたら、後発出現の割には、自分が忘れたことや仕事の遅延まで逐一指摘してくるので、うっとうしいやらありがたいやら、うれし恥ずかし複雑気分、といったところのようだ。ただ、「今回は同意する」の上司の一言が利いたらしく、気持ちが一気にほぐれたらしい。ついでに、冒頭のネタニヤフ氏来日の件を引用して、「イスラエルと日本の関係は相補関係にあると言われました。この仕事において、私達の関係もそのようだといいですね」と私が書き添えると、何という返答だったか。

「アーメン」

これですよ、これ。幼稚園時代から馴染んできたこの一単語が、いかに新鮮に、新たな意味を伴ってズシンと目に飛び込み、心の奥底にストンと落ちてきたか。この二年以上、私はやっぱりユダヤ人(「友達」とエルサレムの彼)と深くつながってきたんだ、と改めて感じた瞬間だった。
単なる個人関係ではない。公に全世界に向けて発信し、日本語圏内に向けて自分なりの説明を加えつつ、現代という同時間を時差を踏まえて共に生きる中で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130828)、各々の歴史に触れ、人間存在の動態に直接関与しようとしてきたのだ。日本語読者の一刻一刻を電子データで数値化されると、自分のささやかな自宅での作業が、確実に人々の目に留まり、人を動かし、読者層の増加へとつながっていることが確かに実感できる。それは、日本語圏では全く新たな試みだった。それまでの、一部の中東専門家やブロガーの無責任で表面的な悪口めいた批判とは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120424)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)、明らかに一線を画したものだ。
最初から企図していたのでは、もちろんない。でも、不思議なようにここまで惹かれ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)、導かれ、面会に至り(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)、その後も、複層的にニュアンスを添えて、業務が継続されている。そして、国と国の関係強化へという動きが公的に現れた直後に、エルサレムから個人的に、ヘブライ語の一言で確証が寄こされたのだった。
何という不可思議であろうか。タイミングといい、言葉の様態といい、まさに、人知を超えた奇しき業だ。