シャイニング・ウィンド』のホウメイフィギュアに彩色されたものが公開されておりました(ShineなBlog)。
 着物等の造形やら出来は非常に良さそうではあるのだけれど、違和感を感じた。
 ・・・
 瞳の大きさ云々はともかく、瞳の色が違うような・・・まだ完成品ではないので、これから着色に入るのかもしれないけれど・・・それとも気のせい?
 って事で、一応自分が持っている全てのホウメイの瞳を確認してみた・・・その為、昨日の夜更新しようと思ったけど、今日になりました。なんと言っても、自分のサイトを開く度にホウメイの顔は見ている訳ですから・・・。


 やっぱり違う? それともフィギュアになると瞳の色が変わってしまうものなのか?
 まあ、どのような出来になろうと購入するのは確定しているんですがね。
 しかし、これは東京国際アニメフェアに行けという事か・・・仕事がなかったら、30日は『恐竜大陸』(サイト)にでも行こうかなあ、と思っていたけど、優先して行かなければなりませんな。そうなると開幕週に恐竜か・・・辛そうだ。
 4月から5月は下手すると休み一日も無しで仕事になりそうなので・・・。

一美、子供の作り方教えて」(シャナ)
 『灼眼のシャナII』の第21話「クリスマス・イブ」を視聴する。。
 子供に「三」の文字を入れるって事は、男だったら時期的に「三太」に決定か・・・と貫太郎のセリフを聞いて思ったけど、生まれるのはもっと先でしたな。で、妹だと「三田子」? まさか、”さん”→”SUN”→”太陽”って事はありませんよね?
 今回は、シャナと吉田さんの恋の決着(への布石)&悠二母の妊娠と悠二の名前の由来&池の玉砕告白でした。前OPで池が雪の中で吉田さんに告白している映像の意味がやっと理解できましたよ・・・スルーされなくて良かったね、池。
 って事で、先週(突然?な時間変更で)視聴できなかったら、サブラク戦が終了していた。しかも、サブラクは死んでおらず、決着の付け方もアバンから想像するしかなくてなんか消化不良。
 ま、子供の作り方に対する個々の対応が面白かったので、良し。ネタ晴らしは、ヴィルヘルミナに聞いた後にして欲しかったけど・・・。
 それにしても、藤原啓治さんの貫太郎が、サーシェスを観たばかりだったので、切り替えが大変。

 『シゴフミ』の第11話「メザメ」を視聴する。
 目覚める文歌。文歌に撃たれる為、シゴフミ配達人の仕事をしていたフミカ。
 それを阻止しようと奔走するチアキと夏香達の話となっておりました。
 三年間寝たきりだったのに思った以上にフミカが元気だったのは吃驚したけど、フミカが文歌に合わせて成長するように、文歌もフミカの影響を受けている(体を動かしていた事になる)という事か?
 7話と同じ銃を撃つシーンで終りかよ、と思っていたら、父親を告訴して終了。
 まあ、色々突っ込み所はあるものの、ラストに向けて盛り上がってまいりました。つうか、藤原啓治さんがいるばっかりに、編集サイドが暗躍しそうに思えてしまうんですけど・・・そう言えば、夏香の姉は・・・。
 それにしても最後の銃撃・・・父親を撃った事に罪悪感を持つ人間が、その父親を撃ったのが自分の分身と知ったからと躊躇なく撃つものだろうか、夏香と合流した際の性格一変と考えあわせると色々と考えられますなあ。
・文歌がフミカを撃ち殺す事で、人格が統合された。
・渡された銃で文歌が自殺、業の深さを悟ったフミカが文歌の体に憑依した。
・撃てない文歌から、銃を奪ってフミカ自殺→で、文歌が目覚めた。
・文歌がフミカを撃ったら、実はフミカの方が基本人格で、文歌は保護人格であった。
・考え辛いけど、フミカが文歌を撃って人格を奪った。
・実は撃ってない。
 まあ、先週の『絶望先生』での「百見さん」じゃないけど、オチなんてのはいくつも考えておけば、いずれかがヒットするものですが・・・さてさて。
 そう言えば、先週の感想で、警察はここまで酷いか、とか記したけど・・・痴漢でっちあげでの警察の対応とか見ると、自分が知らんだけだったんですな。とは言え、それくらいしないと逆に事件へと発展していた場合、また叩かれるんですけどね。

 昨日購入した「prologue」を視聴する・・・と言っても、プロローグ映像なので数分だけなので特に感想もなし。
 ってか、火村がバイオリンを、優子がピアノを弾いていたけど、アニメでそんなシーンあったっけ? と。ピアノの音と光の波紋(?)のシンクロは『海の檻歌』を想起した。

 で、数点疑問箇所があったので確認しようとDVD1巻を再生していたら・・・いつの間にか4巻まで視聴していた。そして、そのままテレビ版を録画したDVD(DVD版はまだ出ていない)へと・・・何と言う事か。
 それにしても、優勢かと思っていたみやこが、景の反撃で一瞬で落ちる様が良いですなあ・・・つうか、(前も書いたけど)みやこも良いなあ、と思い始める今日この頃。景はやっぱり相変わらずですがね。

 しかし、ここまではまると、5月30日発売のPC版『ef - the latter tale.』を(前作買ってないのに)買ってしまいそうだ。
 丁度DVDも最終巻を向かえて千尋分を補給する為にも・・・まあ、『電撃コミックガオ!』休刊によって『電撃大王』(6月号)に移籍、しかも、千尋メインな三章の連載が開始されるそうだから、十分補えそうなんですがね。
 って事で、千尋表紙だった為に購入した『コンプティーク』(4月号)の記事を今更ながらちゃんと読んだら、4章のメインになるという羽山ミズキが蓮治の従妹だったと言う事を知る。世界って狭いな。

『書と日本人』読了

石川九楊 新潮社(新潮文庫) 266ページ 438円+税
 古代から現代までに連なる日本の”書”の歴史を図版を大量に挿入しつつ紹介する書。
 懐古主義とまでは言わないものの、近代化する現代の日本の風潮に苦言を呈する箇所はともかく、書の羅列となる前半から中盤の学級崩壊は寺子屋時代からある等の書と関係のない社会批判などの部分しか記憶に残りませんなあ。
 って事で、パソコン(作中ではワープロですが)に対する不安は納得できないことはないものの、縦書きという構造を崩して、横書き社会になると「(日本では)自省と自制を欠いただらしのない社会となることは目に見えています」とまで断言されると――本ブログは元々だけど――Web関連は完全否定ですな。まあ、ここだけ抜き出してしまうと過激発言に思えてしまいますが、前後の文脈から計れば、日本語を憂慮しているだけである事が分かります。
 目次は、「写経の効力」「女手=平仮名の発明」「禅と墨蹟、漢語の厚み」「解放される文字」「寺子屋の手習い」「遊女と書」「日本のなかの中国趣味」「書の巨人たち」「近代化がもたらしたもの」となっています。
 この書籍は平成16年2月に毎日新聞社より刊行された『「書」で解く日本文化』を改題したものです。
 平成19年5月1日発行 ISBN:9784101483146