Agile Japan 2010に参加しています

本日2010年4月9日と明日の10日で開催されているAgile Japan 2010に参加しています。
内容はtwitterのタグ#aj10で実況されていますので詳細は繰り返しませんが、個人的に興味深いと思ったことを書きたいと思います。


今日は期待していた野中郁次郎先生のキーノートセッションがありました。
感想を一言でいえば久々にライブの感動を感じることができました。
ライブの感動というのは、私が初めて行った洋楽のライブである大阪城ホールこけら落としのディープパープルのライブ、あるいは東京ドームこけら落としローリングストーンズのライブに行った時に感じたものと同類のものでした。
つまりそれは野中先生の話にあった場への参加であり、realではないactualの体感だと思います。
以下に私にとって印象に残ったことを書きたいと思います。

主観から客観が生まれる

主観から客観は生まれるが客観から主観は生まれないという話でした。
つまり主観がなければ何も生まれないということでした。
私にはこの考えが正しいかどうかの判断はできないのですが個人的には支持する考えです。

暗黙知は重要であるが形式知が無ければ伝えることが大変だ

長嶋監督の暗黙知はすごいけど形式知はちょっとおかしいという話がウケました。
一方野村監督は徹底的に形式知を活用するので知識の移転は優れているという対比もわかりやすい説明でした。
そして阪神には形式知が通用しなかったというオチも大変ウケていました。

自分の主観的な知識も形式知化すれば客観視できる

個人だけでも主観から客観が生まれ、さらにブラッシュアップされて洗練されるスパイラルができるということだと思います。

フロネシス

おそらく皆の意識に「風呂寝死す」ではないとして植えつけられたと思います。
先生はこれからのリーダーシップの形としてこのフロネシスを提唱されているようでまんまと意図にはまりました。
それは英語ではprudenceあるいはpractical wisdomという様に表現されるもので日本語に訳すと実践知。
内容はcontextual judgementあるいはtimely balancing、つまり適応あるいはアジャイルということだと理解しました。

本質は見えない

現場をいくら観察してもリアルな現場はわかっても実際(アクチュアル)にはわからない。
わかるためには現場で動きながら考える必要がある。
この話もありますが身体性について重視する発言が結構ありました。

相互主観性(intersubjectivity)

主観というものは個人の中の問題だと考えていましたが複数の人の間には相互主観性がある。
相互主観性とは言わば人間存在の根底にあるケア、愛、信頼、安心などの感情の知であり、組織の存在にとって重要のものである。
調べてみると別の分野では関主観性とも言うようです。

右手で左手に触れる、しばらくすると左手が右手に触れている感覚を覚える

主客をはっきりと意識すればこのように感じにくいですが、主客があいまいであればすぐに区別がつかなくなるはずです。
これはとても日本的な感覚だと思いました。

ミラーニューロンの存在

暗黙知あるいは内面的な感情が形式化されないで暗黙のまま移転されることが科学的に証明される可能性がある。
人事を自分事として感じることができる、と言えるかもしれない。

実践知の伝承

実践知の伝承には形式知だけでは無理、徒弟しかないということでした。
実践知の伝承には実践の場における実践の共有が必要だということだと思います。
違う言い方をすれば受ける側が自分で実践知を習得するなどで実践知の伝承が必要ない場合には形式知だけで足りるということだと思います。

善いこととは善いことを行おうとし続けること

老荘思想であり、正にアジャイルのことを言っていると思います。
「動詞の知」という話もありました。
行為が実行主体に依存している限り知とは言えないと思います。
行為から主体を除いて行為そのものを認知するのはやはりとても日本的だと思います。

場の連結

存在論的次元での拡大のことだと思いますがこれはアジャイルのスケールアウトについてのヒントでもあると思っています。

知的体育会系

これは脳も身体の一部であるという脳の身体性についての指摘だと思います。


もっと難しい堅い話かと思ったらとてもわかりやすくて要所要所で笑いを取るというとても面白いプレゼンテーションでした。
おそらく今回の聴衆に合わせたフロネシスの実践だったのだと思います。
本当に素晴らしいと思います。


他のセッションの話や参加者との会話など色々とあるのですが明日もありますし、今日のところはとりあえずはこれぐらいにしてまた改めて書きたいと思います。