彼方なる歌に耳を澄ませよ (新潮クレスト・ブックス)(アリステア・マクラウド)★★★★★

彼方なる歌に耳を澄ませよ (新潮クレスト・ブックス)

彼方なる歌に耳を澄ませよ (新潮クレスト・ブックス)

クラウドはこれまで31年間で16編しか書いてないが、発表された作品はすべてが大絶賛されているという、カナダの「静かな巨人」である。だって16編中15編は短編ですからね。しかも唯一の長編である本書には13年かけたっていうんだから驚いてしまう。気が長いというか何と言うか、ひとつの作品に13年も向き合えるということに。そしていい意味でその13年間という長い執筆期間を感じさせない作品であることにも。ちなみに15編の短編は『灰色に輝ける贈り物』『冬の犬』に分冊されて同じくクレストブックスから発売されている。そのふたつの短編集が本当に素晴らしかったので、この唯一の長編も楽しみにしていたが、一方で読んでしまうのも惜しかった。だってこれ読んだらもうマクラウドの未読作品がなくなっちゃうじゃん!……とは思ったものの、やっぱ読んでしまった。

18世紀末、スコットランドからカナダ東端の島に、家族と共に渡った赤毛の男がいた。勇猛果敢で誇り高いハイランダー(スコットランド高地人)の一族の男である。「赤毛のキャラムの子供たち」と呼ばれる彼の子孫は、幾世代を経ようと、流れるその血を忘れない―人が根をもって生きてゆくことの強さ、またそれゆえの哀しみを、大きな時の流れといとしい記憶を交錯させ描いた、感動のサーガ。名人だが寡作な短編作家が、13年をかけ書きあげた唯一の長編、絶賛を浴びたベストセラー。

なんか、じんとくるエピソードのミルフィーユってかんじだ。祖父母のもとで育てられた子供時代、祖父母の語る様々な物語、事故死した従兄弟のかわりに炭坑で働いた日々、兄弟や従兄弟同士で語る祖父母の想い出、そして美しく響くゲール語の歌。あまりにも壮大で優くて切ないこの物語には、生と死、家族とルーツへの愛がすべて詰まっていて、言葉を失ってしまう。真っ当に生き、家族を愛し、飼い主を追って冷たい海を泳いだ先祖の犬の話を語り継ぐ。当たり前のことのようでひどく遠く、二度と手に入れられないようなもののようで、切なくなる。
生きること、働くこと、楽しむことに前向きで、惜しみない愛情をまわりに与えるこの祖父母の姿から、ひとつのエッセイを思い出した。沢村貞子の『私の浅草―[録音資料] (新潮カセットブック S- 3-1)』である。戦前の浅草に生きる普通の人々の生活を切り取ったこのエッセイに、とても近いものを感じる。

 私の母も、<こんにちさま>が口癖だった。毎晩、綿のように疲れた身体を、床に横たえながら、
「寝るほど楽があるなかに、浮世のバカが起きて働く……」
 とつぶやくくせに、夜が明ければもう、さっさとタスキをかけて、台所に立っていた。なぜそんなに働くのか、ときけば、
「こんにちさまに申しわけないからさ」
 と、いつも答えた。
<こんにちさま>がどこに祭ってある神さまか仏さまか、誰も知らない。ただ、律儀な昔の女たちは、その日その日を無事に生きている以上、怠けていては<なにか>に申しわけない……と、いつも胸の中で思っていた。そのなにかが<こんにちさま>という言葉になったのだろうと思う。
 だから、その人たちは、たとえ自分の必死の働きが形になって報われなくても、決して、愚痴はこぼさない。
「愚痴を買ってくれる人はいませんもの」
 小さいおたかさんはケロリとしていた。

この100年くらいで急速に失われつつあるものが、この二つの本には共通してあるような気がする。取り戻すことはできないのだろうか。まずおまえが頑張れって話だ。
話はそれたけど、やっぱマクラウドはすごい。これほどたくさんのエピソード、しかもそのひとつひとつが鮮やかでぐっとくる、それをひとつの長編としてまとめてしまってるのだもの。短編ほどの鋭い食い込みはなくも、じわじわとゆっくり深くえぐる、そんな印象をもった。読んで本当に良かったです。
なんとかお元気なうちに(現在70歳!)、また作品を発表してもらいたいものだ。そしてどんなに短くても、日本でまた翻訳出版してもらいたい。