みんな友だち(マリー・ンディアイ)★★★★★

みんな友だち

みんな友だち

知らない作家だが、「ぼくを売ってよ!」と書かれた帯に魅かれて購入。どうでもいいことかもしれないが、ファミリーネームが「ン」からはじまる作家の作品を読むのは初めてだなぁ。


翻訳者(笹間直穂子)による解説によれば、マリー・ンディアイはセネガル人の父親とフランス人の母親との間に生まれ、フランスで育った。ンディアイはもちろんアフリカ系である父親のものだが、マリーが生まれてすぐに両親は離婚し父親はセネガルに帰国したため、父親とはほとんど関わりを持ってないらしい。マリー自身は生まれも育ちもフランスだが、なにせ育ったのはフランスの片田舎。「混血児」であることは「異端」であり、それによってマリーがその理不尽さに傷ついたであろうことは想像に難くない。まさしく「理不尽なもの」が彼女の書く小説にあふれている。


●少年たち
金持ちのマダムに「買われて」いった美しい少年アントニーをうらやむ少年ルネ。アントニーの家よりさらに貧しく、器量も悪いルネだったが、誰かに「買って」もらいたいと切望する……。
やりきれなさを通り越して喜劇的ですらあるが、普段の生活に対するルネの絶望はどこまでもリアルに冷たく描かれていて、これまた哀しさを通り越してる。


クロード・フランソワの死
親友であるマルレーヌとの三十年ぶりの再会に動揺するザガ。当時の伝説のアイドルであるクロード・フランソワの死から時間が止まってしまったマルレーヌ、別れた夫への過剰なまでの嫌悪と恐怖につきまとわれているザガ……激しい思い込みから抜け出せない女たちの姿がシニカルに描かれる。ザガの娘の普通の反応がザガの物語を際立たせ、自分は普通だと思っているザガの視点がマルレーヌの物語を際立たせる。


●みんな友達
高校教師である<私>は、もと教え子であるセヴリーヌを家政婦として雇っている。教師と生徒であったときにもなぜか高圧的であったセヴリーヌの態度は、雇用主と雇用者になった今も変わっていない。セヴリーヌは高校時代の同級生と結婚したが、彼女の昔のボーイフレンドで今は<私>との親交も深いヴェルネルは、未だに彼女のことをあきらめていない。<私>はセヴリーヌに今の夫と別れてヴェルネルと結婚するよう勧めるも、相手にされず……。
年齢や立場に関係なく、本能的に嗅ぎ分けられる「上下関係」というものが描かれていて、非常に興味深い。もちろん年上で元担任で現在は雇用主という、一般的に見れば圧倒的に「上」の立場にいるはずの<私>が、セヴリーヌの人生に影響を与えようと必死になり、かつ鼻であしらわれているというのはかなり滑稽だ。精神的なSMですね。セックスは関係ないのに、ここまであからさまなSM関係は面白い。


●ブリュラールの一日
結婚生活から逃げ出し、リゾートホテルにひとりで滞在しているブリュラール。ひとりになっても現実と被害妄想が混在する彼女のもとに、一番会いたくない人、夫のジミーがやってくる……。
薄っぺらな夫への怒り、すべて壊れてしまえばいいと願う絶望、どうしようもない寂しさで、ボロボロになっていくブリュラールの混乱した一日が、緩急のあるサスペンスフルな展開で描かれる。あくまで終始ブリュラールの視点に立つことで、読んでるこちらも揺さぶられる。


●見出されたもの
バスに乗って息子を売りに行く母親を視点としたショート・ショート。
この10Pのなかにどれだけの感情が詰められていることか。罪悪感を感じては自分を正当化させる理由を考え、退屈しては笑いたくなり、哀しくなっては腹立たしくなり、寂しさを感じながらも腹の中ではそろばんを弾く。
今の日本だと想像しにくい状況だけどね。<子供一人の価値>より優先すべきものがあった時代はどの国にもあるし、現在そうである国や地域もあるだろう。ただそれを1967年生まれでフランスに育った著者が、ここまで描けるのは凄いと思う。ここまでっていうのは、状況に応じた母親の感情であり強さであり、とても今の先進国では見られない情景だからだ。
自分が生んだ子を喜んで売りに出す母親はそう滅多にいないだろう。だけど子供に対する執着と同じくらいに、<家族の生存>に関する危機管理能力も高い。自分の子を売るには、覚悟があった上のこと。腹を決めてバスに乗ったのだ。
この物語は極力、哀しみの感情を押さえてある。あえて子供への苛立やうとましさを前面に出す。だからこそ、板挟みの切なさに深く共感できるのだ。


一気読みは難しい。そういう短編集だ。思いっきりゆっくりと読みたい。で、読み終わったらパラパラとでも再読してみることをオススメする。わたしも感想を書くに至ってちょこちょこ読み返して気付いたのだが、この短編集は本当に味わい深い。
最初に読んだ時はなかなか集中できなかったので星5つはないかな、上手いけど4つくらいかなと思ってたが、読み返すとそのレベルの高さにひたすら驚く。読み返さないと驚かなかったのはわたしの読解力のせいかもしれませんがね。


本当に上等な小説です。次の作品が楽しみだ。

ぼくのメジャースプーン (講談社ノベルス)(辻村深月)★★★★☆

ぼくのメジャースプーン (講談社ノベルス)

ぼくのメジャースプーン (講談社ノベルス)


続いてまったく読んだことのない作家さんなのだが、id:seiitiさんが最近とみに気に入っておられるようだったので、興味がわいた。
いやー読んで良かった。夢中になって読んでしまいました。

「ぼく」は小学四年生。
不思議な力を持っている。
忌まわしいあの事件が起きたのは、今から三ヵ月前。
「ぼく」の小学校で飼っていたうさぎが、何者かによって殺された……。大好きだったうさぎたちの
無残な死体を目撃してしまった「ぼく」の幼なじみ・ふみちゃんは、
ショックのあまりに全ての感情を封じ込めたまま、
今もなお登校拒否を続けている。
笑わないあの子を助け出したい「ぼく」は、
自分と同じ力を持つ「先生」のもとへと通い、
うさぎ殺しの犯人に与える罰の重さを計り始める。
「ぼく」が最後に選んだ答え、そして正義の行方とは!?

という裏表紙にあるあらすじを読んだ時もそう興味は引かれなかったんですよ。何か地味そうだし。
だから読み始めて、本当に驚いた。


本訴のはじめあたりで描かれる、ふみちゃんの人となりを現すエピソードがめちゃめちゃ上手い。そこでまず引き込まれた。同級生よりは大人であるが、シニカルさは持ち合わせていない、クラスメイトから重宝されても誰の親友でもないふみちゃん。誰よりも強い、そのふみちゃんの心が傷つけられたとき、ふみちゃんのたたずまいを尊敬していた「ぼく」は怒りに駆られる……。


「ぼく」は自分と同じ能力を持っている、母方の親戚である大学教授の秋山先生に相談に乗ってもらう。
まるで禅問答のような、二人の会話が奥深い。犯罪の基準はどこにあるか? 罪とは? 罰はどうあるべきか? 復讐とは? 償いに値する罰はあるのか……?


そして衝撃のラスト。泣きそうになりました。


加えて個人的には、動物を殺すことについての「ぼく」と教授の会話が興味深かったです。
ストレスによって他人のペットを殺すことと、食事のために家畜を殺すことと、そこに違いはあるのか?
日本という国はそう好きではないけど、文化的には日本に生まれて良かったなぁと思う。
だって食べ物に対してはニュートラルだもの。馬でも鯨でもね?
逆になぜヒステリックに「捕鯨禁止!」なんて言い張るのか理由がわからない。
捕鯨を禁止したせいで食物連鎖に影響を与えて他の魚が少なくなってるらしいし。
前のサッカーワールドカップのときも、韓国で犬を食べる習慣がある地域があることを非難されてたけど、
意味が分からない。
わたしだって相当な食糧難に陥る以外、そうそう犬を喰おうとは思わないけど、
ほかにタンパク質を取れないなら食べると思う。
ヨーロッパの人も、子羊とか野うさぎとか食べてるっしょ?
ていうかなんで犬や鯨を食べちゃダメっていうのに、牛や豚や鶏を食べるのはOKなの?
意味わかんねー。
人間以外だったら食べてもいいじゃん。文句言われる筋合いない。


話がそれた。
ていうか教授と「ぼく」の会話は深くてついつい引き込まれちゃうんですけどね。
ついでに口を挟みたくなる話題ってことです。
新作がでる前に、過去の作品を全部読みたいと思います。