餃子

朝から鼻水が止まらない
ので昼に30分ほど眠る。
すっきりしたところで、
午後から餃子を作る。
餃子は60個ほど出来て、満足、まんぞく。
娘、わたし、母の三世代でつくる。
ニラ、キャベツ、ネギ、豚のひき肉
調味料
それらを混ぜて皮につつむだけなのに、
あんなにおいしくなる餃子が大好きだ

餃子は1時間半ほどですべて完成

ニラのにおいが家中に充満していることなど
気にせず、
娘と屋内の遊具がある施設へさっさと出かける

ボールプールがあるこの施設。

密かにボールプールが好きなので
足を入れる
足湯なみにたくさんのボールに包まれた空間は気持ちがよく、
一度でいいから寝転んで、ボールに埋もれたいとおもう。
で、娘をボールで埋めてみようとするが
体を動かしたい人には迷惑な行為らしい。

それから、砂場へ移動

砂場は当たり前だけれど、室内なので素足で遊ぶ
素足で、砂遊びはこれまたとても気持ちいい
別府で体験した砂風呂並みとはいかないが
公園の砂遊びとはまた違う。

で、型抜きを娘以上に楽しみ
はじめたところで砂場の利用終了時刻となり
会えなく退散
公営なので、プールのように施設利用時間に区切りがあり
お砂場は終了15分前に利用できなくなる
終了時間を惜しんであそぶ。。。

餃子を作ってからの出発だったから
実際利用できた時間はあまり長くなかったのだけれど
短時間でギュっと遊んだ感じ

それから夕方、友達と会う
子どもたちも一緒に会いに行く
小学生以来の友人


子どもの頃から遊びに行っていた友達の家へ子連れで遊びに行く
娘ぐらいの年ころに、こんな出来事は想像しなかったな

もう一つの実家のような空間
そんなリラックスした中ではだれもがのんびりあそぶ

息子が就学前の友人の子どもを相手をする
小5男子が3歳児を抱っこする
カルタ取りもする
追いかけっこもする
日頃見ないこどもの一面がみれて
ここへ遊びにくるのは本当に短時間でも大好きだ

日が落ちた午後6時
一家全員で
姿が見えなくなるまで見送ってくれる




キャリアというもの

毎晩、眠る前に子供たちへお話しをするのですが
よく、度を超した話の展開により
寝せるはずが話が面白くなりすぎて
なかなか子供が眠らないという
状況になります

あり過ぎです。

2010年 10月あたりでしたか。
ドラム式の洗濯機の中をのぞこうとする娘のために
洗濯機の中から、夜になるとお化けが出て来るという
話を始めたのがきっかけでした。
『太郎』『次郎』という二人兄弟の幽霊。
名前も即席で決めたのですごく適当。
でも、眠る前に話すのでなるべく想像しやすいようにいろいろ
細々とした設定を付け足しているうちに
見事なキャラクターになり
二人の兄弟以外に、魔女のお母さんとか彼らを取り巻くたくさんの動物とか
登場します。

3年以上、寝る前にリクエストされます。

毎晩ではありませんが、
震災の直後も
あれこれ大変な出来事があった日の夜も

たくさん私に怒られた日の夜も
彼らは「太郎さん」と「次郎さん」という二人の幽霊が冒険をする話を聞いて
眠りました。

話が定着したのは偶然でしたが実は
子供が大きくなったとき
ちいさい頃の記憶として何か思い出せる特別な思い出があったらいいと
意識をしたのが2010年でした。

仕事もしていたし、子供の話とか丁寧に聞いたり学校での様子を細かく気にしたり
できない。それ以外にも自分自身、興味あることも多いし。
でも、できるなら
子供たちが幼少期お母さんの9割が駄目だったと思っても
1割はお母さんの何かがよかったという物があれば、
いいなって思ったのです。

そこで、ご飯は丁寧に作ることにしました。
毎日です。
時々、手も抜きます。

それから、このお話しでした。

いつか、子供たちが大きくなったとき
例えば地下鉄の中で突然
何かの瞬間、話を思い出して懐かしくなったりとか
そんな風になったらいいなって。

2014年

2014年
あけましておめでとうございます
今年もどうぞよろしくお願い致します。

こんな挨拶でいいのだろうか、、、

除夜の鐘を聞きながら、神社で参拝の列に並び、
初詣をしたのが遥か昔のようです

初詣は息子と二人で行きました。
参拝の列に並んでいたら、隣のおじさんが
餅まきをしていると教えてくれて
息子は列をはみ出し神社の中へ.

参拝の順番が目の前に迫ったところで
さらりと戻って来て、
一緒にお参り。
神社のどこに息子がいるのかわからず
お参りに間に合わないのではないかと
ちょっとドキドキしました。

息子は
2回も餅まきに参加して
家族分とったらしい。
お餅をゲットすると、その度に並んでいる私のところへ見せに来る。
嬉しそうに取ったお餅を見せに来る姿が、なんとなく
捕った獲物を自慢しに来る猫の様で
可愛いと思ってしまった。

地元の神社なので、
中学生やもっと大きい子供たちがみんなで集まって
初詣をしている姿があちこちに見える。

甘酒や振る舞い餅を食べながら
みんな新年を祝っている。

寒さに負けず、息子と二人自転車を飛ばして
初詣に来てよかった。

深夜、二人で自転車を飛ばして坂道を下ったり
ちょっと競争したり
雲一つない満天の星空を眺めたり

いい年明けになりました。

あー。

お茄子のミートグラタンが食べたい。
作ってみたい。

そうつぶやいて、茄子を二袋も買って来たのに
まだ作っていない。
茄子が元気無くなってしまう。
そして、あげ茄子風のショウガ醤油ソテーに大変身。
でも、あと一袋あるからつくろう
チーズたっぷりお茄子のミートグラタン

今日は温泉に入って来た。
露天風呂がきれいになっており気持ちよかった。
タイルになったせいか、色白に見えてなかなかよいと思う。

先週は、忙しい一週間だったけれど
そんな時に娘、高熱を発す。
久々添い寝でオールな2Daysを堪能した。
体内から発せらるる熱が日常より高くなると
添い寝したとき、すこし不思議な感じをうける。
何ていうか、とろけるキャラメルみたいな感じ。
じんわり、柔らかく、熱せられる感じ。
わかりますでしょうか。



しかし
体がでかくなった彼女と狭いベッドで眠るのは
なかなか体力を要す。
仕事場で久々お迎え要請の連絡を受けた金曜の午後3時。
月曜の仕事量は想像しない事にしましょう。

でも、回復早く解熱まですいすいと高速移動。
今日はすっきりされていたので
温泉にいれてしっかり暖め
ぐっすり昼寝をしてくれ
夜も、安泰。
明日は幼稚園への巻き。
の、はず。
きっと大丈夫。

そして
井上 涼さんすばらしすぎです。
大好きです。
友達に感謝です。

つらい事たくさんだけど
斜め前に向かっているかもしれないけれど
進みます。

おやすみなさい

ドレープ

空に包帯

あるいは、
細胞分裂が進んだ組織の様

壊れた組織は細胞が分裂しながら修復してゆく
幹細胞が新しい細胞を作ってゆく
それができないとされるのが
心筋と脳細胞
正しくは脳の神経細胞


細胞分裂を繰り返すうちに
短くなるのが
テロメア

テロメアは回数券のよう
チャージできない

ほつれたレースに
一方から強い力が加わると
いっきに
ほどける

まつってある
スカートのすそとか
ほどけた糸を切ろうとして
ひっぱると
自分の意図とは関係なく
糸は切れるどころか
ほどけて長くなる




すこし
破損している
あるいは
欠損しているのかもしれない

ただし決して
大きな破損や欠損
ではない


明日から忙しい日が
続くので寝よう

コウモリ

夕方17:45
帰宅するとすぐに娘を誘って散歩へでる

公園へ行きたがる娘と信号まで行くが
息子が5時を過ぎると公園にヤンキーが出ると
話していた事を思い出し
娘と公園はやめようって話になる

そのまま信号は渡らず
幹線道路を歩いて散歩

手をつないで
コウモリの数を数える

最初は数を競ったが
見つけるコウモリが一緒で
意味なし。
しかし、コウモリ
数えてみるといっぱいいる。
みんななぜか東の空へ向かって
飛んでゆく

そんなコウモリたちを見て娘が
今日はなにかコウモリの大会なのかな。。。って
確かに、先週土曜日
娘は運動会でしたが
コウモリも大会があるのか。

夕暮れ
あたりはぼんやり暗くなり
街頭の明かりが目立つころ
田舎道
川沿いの道を歩きたいと誘ったが
「もう帰ろう」と言われてしまった。
薄暗くなり、怖かったのでしょう。

週末も平日も毎日、散歩へ行きたがっていたのに。
仕事が終わらないとか
残業したりとかしてないで
時間を作ってあげないとチャンスは逃すな。

元気がなくなる事が
あった
でも
夕ご飯に食べたハンバーグはかなり
おいしかったので
まあいい

コウモリは
小さいのに
あの傘みたいな羽をばさばさ一生懸命ひろげて
空を舞う

小さいのに偉いと思うって
夕飯の時にはなしたら
みんな、コウモリの死骸を見た事があると
言い出し
私と娘以外は、飛んでいないコウモリを知っているらしい。
地面に落ちているコウモリがすごく見たいと思った。
悪魔みたいな顔をしているとか
でも小さくてかわいいとか
いろいろ教えてもらった

娘は全然コウモリの死体は見たそうではなかった

ハンバーグと一緒に焼いた丸なすを
食べるのに夢中だ

彼女は
いつも、食事に集中しており
あんまりみんなの会話に入らない。

そして大人と同じ大きさのハンバーグ
付け合わせの野菜
ごはん
全て完食

にんまり笑って食器を下げる

才能というもの

あんまり
はっきり
おぼえて
いないけど
たしか、
友人がそのむかし
継続する力が才能だって
言っていた事を帰り道思い出す

ある一定の期間ではなく、
長期的に
ある一定の波長を保ち
続ける事は
なかなか難しい

原発事故後
仮設で暮らす人も、狭い仮設での生活が長期化しているため
だいぶ疲れて来ている...
賠償金とか。お金の問題も絡み始めているから
単純に環境のせいだけじゃない。
「避難」に伴うストレスも大きい。

長期的に支援をするとは、
先が見えない状況の人に対し
これ以上の状態悪化を防ぐこともアプローチのひとつ。
状態悪化とは、
生活意欲の低下とか、
家族形態の変化に伴うトラブルとかね。
いずれも
何もする気になれないという状況
判断する事が困難になる状況にならないように
すること

そんな相手に対し継続的に
息切れせず、投げ出さずに支援し
続ける事の難しさが
東日本大震災から3年目を迎え見え隠れする

たぶん、継続できる人は
アセスメント能力が高いのかと
先日のグループワークを通して
思った

単純に同じ事を繰り返すだけでは
自身のモチベーションが保てないだろう
新鮮みが薄れる作業の連続は
興味関心が持てなくなる

うまく次へつなげてゆく
例えば
公園にあるうんていよろしく
次の腕を前へ伸ばすタイミングが
うまくないとうんていはできない
それと一緒。
スマートに続けることができるひとは
体全体で体重を移動するようなあのこつを知っている
からだ。
そんな才能の持ち主になりたいと
ちらりっと思う。