藤澤親雄「「すめら世界」興国の理論」(『実業之世界』39巻4号、昭和17年4月)で面白発見。本論は、いつもの太古秘史(名前は伏せているが、竹内文献のこと)、契丹古伝、九鬼古文献やチャーチワード大佐の「ミユ大陸論」の話だが、
上海に於て皇道宣布に活躍中の三浦関造氏の報告によれば、ナチス独逸は我が総領事館よりも大規模なる文化機関を設けゲルマン文化の優秀性を宣伝してゐるとのことである。
とあり、ビビビときた。
藤澤と三浦の組み合わせとは面白い。雑誌等で「報告」を読んだだけなのか、私信をもらうほど親しかったのか気になるところである。また、従来、昭和15年に上海に渡った三浦は、神智学の会を開いていたとされているが、「皇道宣布」をしていたとは初耳。昭和18年に北京に渡り興亜世界観研究所を開いたとされる藤澤と接触はあっただろうか。大陸の闇は深い。
また、同寄稿には、藤澤の略歴が掲載されている。戦後出された遺稿集*1の年譜は信頼できないので、この略歴はありがたい。それによると、
明治26年9月18日 本邦数学界の権威たりし藤澤利喜太郎氏の長男として東京府に生る。
7年2月23日 農商務省事務官に任ず。
9年4月 渡欧。
10年9月1日から12年3月1日まで国際聯盟事務局に勤務し更に北京に留学す。
13年2月21日帰国。
13年11月6日から昭和5年8月30日まで九州帝国大学教授。
16年4月15日 大政翼賛会東亜局庶務部長
16年10月1日 大政翼賛会中央訓練所調査部長
(書きかけ)
(参考)三浦については、4月3日分。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
昨日の話題。日曜学者、本物の学者(?)に敗れたり(汗
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ヨコジュンさんや黒岩さんの鋭く描く明治・大正ものも好きなのだが、わしが一番ゾクゾクするのは、やはり昭和期、特に戦時下において、あのトンデモない人とこのトンデモない人が実は通じていて、こんな陰謀をたくらんでいて、そこには軍部も一枚かんでいて、云々という話が好きなのね。最近は、誰ぞのおかげでそこにズショカン員のネットワークも加わってしまったわけだが。
『ブルータス』は博物館特集。トップは、いきなり本郷の東大総合研究博物館。小石川の分館も登場。でも、駒場博物館を忘れちゃだめ!何回か行ったことあるよ。
*1:『創造的日本学』(日本文化連合会、昭和39年2月刊)