クリッピングとメモ

2016-06-30 木曜。くもったり雨がふったりしている。

[]通勤電車で読む『書店風雲録』。

書店風雲録 (ちくま文庫)

書店風雲録 (ちくま文庫)

80年代「西武・セゾン文化」の発信地であったような、書店「池袋リブロ」の店長だった人が、当時を振り返って書いた本。さいしょのあたりは、そもそも書店の仕事とはみたいなところの説明を理解しないとわからないので、あまり風雲録っぽいかんじがしないまま読んでいたし、まぁこっちは世代的には合致していても地方の人だったので、東京で何が起ころうが関係ない、地方版の思い出話だなあというかんじではある。個性派の店員の人がトガったコンセプトで棚を作った、みたいな話も、まぁ出てくる80年代ニューアカ的本たちがずらずらならび、まさにそれらの本をこの棚で仕掛けたことで80年代ニューアカ − 大学の外で花開いた流行としてのニューアカ − の現場になった、というのはわかるのだけれど、まぁ今の目から見てというか、まぁ当時でも地方の目から見てということでもいいけれど、その現場で流行の渦中にいなかった者の目から見れば、それはようするに「流行」の部分で、しかしやがてその流行が去った時にも重要性が変わらないものこそが重要なはずで、たとえば地方にいればニューアカの渦中のお祭り騒ぎでの興奮はなかったわけで、単純にあれがいいらしいこれがいいらしいという情報として流れてくるものに従って本を読む、というのがニューアカに対する態度であって、そうであってみれば、読んでみたけれどわかんなかったとか、わかったとか、重要だとか重要でないとか、そういうスタンスで接してたわけである。なので、いま、その本棚のラインナップを紹介されても、へぇ、というかんじにはなってしまうわけである。まぁ、それなりに面白くはあったし、まぁニューアカ界隈の人たちの80年代回顧ばなしのあれこれの本の中で言えば、なにせ書店員というのは基本的にまじめに働いている人たちで、くだらない人脈自慢ではない現場の苦労話とかがたくさんあって、共感しながら読むわけだけれど。

なのだけれど、本の終わりのほうで、「バーゲンブックフェア」の騒動のはなしがでてきて、これは風雲っぽくておもしろかった。

あと、西武百貨店の当時のトップであった堤清二という人の人物評について。

私には芦野が最後に付け加えた「堤清二」評が忘れられない。「彼には潜在的に破滅願望があるんだ、成功に成功を重ねて、あと一歩、というところでこの願望が姿を見せた。だけど実際に破滅するのは周囲の人間なんだよなあ」 堤清二はアール・ヴィヴァンを産み、育て、そして見放した親、である。リブロで育ち、出ていった今泉や中村、そして私たちも一様に彼にアンビバレントな思いを抱いている。堤清二が去ったあとの西武百貨店における「文化」の位置を思うと、その感は一層深い。引き継いだ経営陣には「文化は親の仇」だったのだろう。

あと、

文庫版のあとがきの中で言及されてるエピソード。

この本の著者の人はいまリブロを離れてジュンク堂で働いてる。で、この本がリブロで売れてるところに、リブロの店員さんがポップをつけていると。そのポップの文面を、著者の人はあとがきで全文紹介するし、それを読んでおもわず一瞬、目頭にくる。

2016-06-29 くもりのち雨の水曜。

[]今日はビートルズ来日50周年らしい。なわけで、学生さんに伝えたいビートルズ25曲。

なんかこのところまたビートルズづいているのは、ビートルズ来日50年とかいうことでテレビで特集などやったり、それに感化されて本を買ったりしたせいなわけだけれど、やはり聴きなおすといいわけである。それで、少し前にこういう→NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 子どもに伝えたいビートルズ楽曲 25選!?:皆さんなら何を選びますか? ブログ記事があって、ビートルズの曲を25曲選んだ、ということだったのだけれど、まぁそれじゃあもし自分がということで、たとえばビートルズを聴いたことのない学生さんに勧めるならこういう曲、ということで。

で、最初の二曲は、ビートルズの「はじめとおわり」というかんじで。

A hard day's night

D

A Day In The Life

D

これ、ジョンAメロ→ポールBメロ→ジョンAメロ、という構成がおなじで、曲の主題もおなじ、で、かたっぽが上り調子でもうかたっぽがおわりのはじまり、ってかんじ。

で、続きましてってかんじで、

自分の好きな曲調の、

Ask me why

D

If I fell

D

Baby's in Black

D

とか。いいですね、ビートルズ美しいですね。

で、続きましてえ、

She Said She Said

D

Tomorrow Never Knows

D

Rain

D

Good Morning Good Morning

D

Hey Bulldog

D

Strawberry Fields Forever

D

I Am the Walrus

D

Revolution

D

いいですねえ、文句なしですねえ、文句なしなんですが、

あれあれ?ちょっとジョン・レノンの曲にかたよったかな?という気もするのですが、

ちょっとまってください、ちょっとまって、

ビートルズには、忘れちゃいけない、ジョージというソングライターがいるのです。

Taxman

D

Love You to

D

Within You Without You

D

Savoy Truffle

D

The Inner Light

D

It's All Too Much

D

いいですねえ、いいです。文句なし、文句なしと言えるんですが、

まぁ、中期〜後期のサイケデリック&アヴァンギャルドなビートルズにかたよったかな?という気もするので、

ちょっとまってよちょっとまって、

初期のビートルズの青くてキラキラしたポップチューンがよかったじゃないかという方、

お待たせいたしました、

I Should Have Known Better

D

I'll Be Back

D

Eight Days a Week

D

中期の、ちょっと陰りのあるなかにもポップなチューンもいいですねってことで。

You've Got To Hide Your Love Away

D

In My Life

D

いやあ、まったくすばらしい。いくらでも選べる。

ただ、忘れがたいのは、ビートルズにはリンゴ・スターという人がいまして、いい味を出すのです。

ほとんどバラバラ状態だった『ホワイト・アルバム』を締めくくることができたのは、この人だったからというわけで、やはりこのラスト曲は心に沁みますねってことで。

Good Night

D

ばっちり!

これしかないという25曲でどうだ!的な!

2016-06-28 はれ。火曜。

[]『ボディ・スナッチャー 恐怖の町』みた。

宇宙からの侵略者らしきものによって、町の人々がつぎつぎと乗っ取られてしまって、見かけはそのまま、記憶もそのまま、なのに中身はごっそり入れ替わって感情というものがなくなってしまう、それで町中の人たちがみな乗っ取られてしまって、主人公の医師とヒロイン(美人で魅力的)とが逃げる、みたいなおはなし。で、宇宙からの侵略者は大きな豆のサヤみたいなものの中で人間そっくりの身体を形成して、そのコピー元の人間が眠っているうちにごっそり乗っ取ってしまう。なので、主人公とヒロインは、逃げ回りながら、「眠ったらアウト」というルールにも縛られて、そのへんがハラハラドキドキ的な要素になって上手い。そしてまた上手いと思ったのは、主人公たちが建物の中に隠れて窓から町の広場を見下ろす場面。広場は、何の変哲もないごくありふれた朝の風景、なのだけれど、見ていると、ロータリーの真ん中に警官が歩いていって、それを合図になんかわらわらと人々があちこちから集まってきて、なんかフラッシュモブでも見ているように人々がわらわらと集合してくるところ。きもちわるい。そしてまた、この映画は恐ろしい怪物とかホラー描写みたいなものはなにひとつなくて、ただあるていどきっちりと話を説明してしまえば、あとはハリボテの豆のサヤみたいなのを人々が運んでいたり、トラックの荷台にごろごろ積んであったりするのを見るだけでぞわぞわっと怖くなるところ。

2016-06-27 はれ。月曜。

[]通勤電車で読む『仙人と妄想デートする』。前著よりもっと内容主義的だなあ。あと、プラットフォーム云々という議論は校則のはなしを思い出した。

このまえの『摘便とお花見』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20160623#p1)の人の本。おなじような、看護のインタビューを基にした「看護の現象学」の本なのだけれど、けっこう印象が違った。前の本もちょっとそうだったけれど、より内容主義的。内容主義ということばはたぶん私が勝手に言っているニュアンスなのでググってもでてこないと思うけれど、ようするに、インタビューの「語り」の言葉の言語形式を分析するんじゃなくて、そこで語られているエピソードの内容でどうこう言う、ということ。前著はまだ、言語形式の分析という感触があったけれど、本書はほとんどエピソードの内容だけで勝負してる。で、前著よりも、図式の提起(プラットフォームがどうのこうの、というやつ)を積極的にやっていて、あと、前著よりもいっそう「死」に焦点をあてている。

病院なり何なりというのは形式的・制度的な規則があって自由じゃない、だけど看護師というのは実践の中で、規則そのままではないやりかた(もうひとつの「制度」)をつくりあげて、いわば形式的規則とのズレのなかに「自由」を作り出すのだ、という。そのへんは、なんか昔、校則についてそのへんに関する論文を書いたようなことを思い出した。学校には校則というのがあるけれど、生徒は校則の曖昧さの中に自由を見出すよ、とか、教師もまた校則そのままじゃなくて曖昧な運用をすることで教育性を見出すよ、とか、だから学校の中では生徒と教師がともに校則を曖昧に運用することで学校的リアリティを作っているよね、共犯的だよね、とか。まぁだからそういういいかたをすると、これぞ看護のプラットフォーム、これぞ自由、というふうに一方的に顕揚するのはちょっとどうかなっていうことにもなると思って、それはふたたび学校の話に戻すと、不良の生徒にこそ人間味があるとか、規則を守らない熱血教師こそが真に教育的だとか、そういうふうに形式的規則とのズレの中に教育的価値を見出すはなしにもなって、まぁそれは単純なロマン主義で、まぁそこから体罰教師を正当化するとか、「昔のいじめはガキ大将がやっていたからよいいじめだった」みたいな俗言とか、学校の授業で勉強する知識なんて社会の役に立たないんだから学校外で経験をすることこそがすばらしいみたいな結局のところ学校教育そのものの意味を否定するような理屈とか、まぁそれはそれでゆがんだ教育言説がぞろぞろ出てきたりもするので要注意としたものなわけだけれど、まぁそれはそれとしても、じゃあ、本書で提起されている図式というのは看護というのをどう見るのか。タイトルになっているのは、精神科の在宅支援のナースが、精神疾患をもつ老患者の自宅にケアに行って、エロいかんじに口説かれたりしながら、まぁでも相手はおじいちゃんだし仙人みたいなもんだということで、デートにリアルに付き合うんだかあくまで妄想デートということなんだかはよく読み取れないにせよ、まぁようするに人対人の関係で接するよという。まぁそのへん、ほかの登場する看護師さんにしてもだいたいそうなのだけれど、そうやって形式的規則からズレたところで患者と接する、というところを、プラットフォームとか自由とかいう言葉で表現している。うーん?それはいいのか?

前著で、しきりに「感情労働」ということばを否定する看護師さんが登場して、それはいわゆる「感情労働論」の文脈からは微妙にずれていたのだけれど、しかし本書で焦点化されてるようなエピソードはもろに感情労働論でしんどい例といわれるようなものばかりじゃないだろうかしらとも思えて、あるいはたとえば阿部真大『搾取される若者たち』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20061115#p1)『働きすぎる若者たち』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20070703#p1)に登場するバイク便ライダーやケアワーカーと同じロジックじゃないかとも思えて、ちょっとそれはきびしいんじゃないかと思った(もちろん、バイク便ライダーやケアワーカーは不安定雇用で低賃金で使いつぶされて、というところが議論の眼目のひとつなので、そのへんは看護師とはいまのところ違うのだけれど、でも本書ではそういう雇用とか専門性にかんする制度的な位置づけみたいなことが視野に入ってなくて、ナースは規則からズレたところで患者さんと接する、というところがもっぱら焦点化されてる)。

あと、「娘が作ったエビフライを食べて死ぬ」というタイトルの章があって、ターミナルの在宅の看護のはなしで、まぁ、家族と協力体制をつくりながら(病院みたいな形式的規則ガチガチでないやりかたで)看取るよ、というはなしなのだけれど、あるとき、さいごになって患者さんが急に元気なかんじになってエビフライが食べたいということで、娘さんがエビフライを作ったらおいしそうに食べて、それで数時間後になくなりましたと。それで、病院では規則だから当然ダメなのだけれどターミナルで在宅のばあい、そういうやりかたで患者さんと家族にとってなにがベストかということで看護をするよ、それがプラットフォームで自由を作るってことだよ、ということなのだろうと思うし、それはまぁそうだろうと思う。で、それはそうとして、これがエビフライだったからちょうどいいはなしのような気もして、これが海老しんじょのお吸い物だったら話としては感銘が薄いような気もするし、トンカツだったらトゥーマッチな感じがしてそれはいくらなんでもいかがなものかという気もしてきそうで、なにがいいたいかというと、エピソードの内容に依存する度合いが大きいんじゃないか、内容主義じゃないか、というのはそういうところ。

2016-06-26 くもりときどき雨。日曜日。

[]このところ読んでいた『デリダ伝』。

デリダ伝

デリダ伝

700ページぐらいあって、しばらく枕元において読んでいた。デリダ、学生のころは追いかけて読んでいたし、けっこう買い集めているけれど、いかんせんわからない。なのだけれど、伝記で読むと、なんかいい人に思えてくるからふしぎである。デリダアルチュセールの追悼のインタビューの中で、だれかがあの当時の高等師範学校周辺の人間模様を描かないといけない、そうしないと当時の哲学とか思想とかわかんないよ、とかなんとかそういうことをいってたような気がする(けどいま見直してみてもピタリその文言はみつからないのだけれど)。で、ちょっとそういう言い方がわかるきもしてくるわけで、デリダという人は、この伝記を読んでいると、けっこう人間関係で動いているようなところがあって、厚い友情とか反目とか裏切りとか再会とか、まぁ不倫というのもあったり、そういうのの連続が、作品とからまりあってるように読める。そうだからといってデリダの本がより理解できるわけでもないのだけれど。