クリッピングとメモ

2017-07-26 はれ。水曜。

[]学校帰りに商店街の本屋で衝動買い、通勤電車で流し読む『アイデア大全』。

某日、学校帰りに商店街の本屋さんに寄って、なんとなく棚を見ていたら推してあったので購入。で、通勤電車で流し読み。まぁ、世にある発想法のやりかたを42個あつめましたという。たとえば自動筆記とか、たとえば「オズボーンのチェックリスト」とか、たとえばトヨタのカイゼンでおなじみ「なぜを5回言う」とか、なんとか法とかかんとか法とか、まぁ、あれこれ考えた挙句に寝たら夢に解決のヒントが出てくるとか、まぁそういうやつ。で、ひとつひとつの「ツール」に、「人文学」的な解説をつけている、人文学書でもあるよというのが売りのようである。おどろいたことに、ガーフィンケルの名前まで登場する(けどさほどの意味はない)。暗黙のルールを破ると相手の怒りを買う、それほど暗黙のルールは強固なのだ、儀礼化され聖化されてるのだ、だからこれを吟味することは組織の改革には必要なのだ、みたいな。まぁそんなかんじ。

2017-07-25 うすぐもりの火曜日。

[]通勤電車で読む『日産 驚異の会議』。おもしろかった。会議術そのものは目新しくないにせよ、実践事例として。

日産 驚異の会議 改革の10年が生み落としたノウハウ

日産 驚異の会議 改革の10年が生み落としたノウハウ

Amazonに薦められてちょっと面白そうかなと思い通勤電車で読んでみた。カルロス・ゴーンでおなじみの日産には「日産の会議」と呼びうる会議のやりかたが浸透しているよ、と。ゴーンさんが進めた組織改革の一環で開発された「V-up」なる会議手法がベースになって、いまや世界中の日産で行われているよ、と。で、たとえばこの本は2011年に出てるのだけど、話の枕として、日産がいかに迅速に震災に対応していち早く工場を復旧させて、6月にはゴーンさんが世界に向けて復旧宣言のメッセージを発信することができたか、それは「日産の会議」あればこそだったんだぞ、というぐあい。で、じゃあ、「日産の会議」って何なの、というおはなしになってくるわけだけれど、まぁ手法としては、ファシリテーション・グラフィックとかエクストリーム・ミーティングとか見覚えがあればさほど目新しく感じるところは少ないのだけれど(まぁ、そんなかでいえば、意思決定者が出席しません、というのは、おっ、と思った)、まぁ別の言い方をすると、自分好みの会議術でボトムアップ式に組織カイゼンみたいなノリで、会議で組織改革・活性化という実践事例として、面白かった(えーとつまり、逆ケースとして念頭にあるのは『すごい会議』みたいな、トップは気持ちいいけど参加者はしんどいかもみたいなトップダウン的なやつ)。

[]Fitbitのバンドがいよいよ壊れてきた。

去年の3月に買った(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20160327#p1)Fitbitの、バンドがいよいよ壊れてきたわけである。で、この型のFitbitは、シリコン製のバンド部分がすぐ剥がれてくるよとかいうのはすでにネット上の感想とかでわかっていて、げんに去年すでに剥がれてきていたのだけれど、別売りのシリコンカバーなどつけてごまかしつつ使っていた。それで、じつはより重大な問題は、この型のFitbitはなぜかバンドの交換ができなくて、壊れたらおしまい、ということなのだった。そしてその件についてメーカー的にはなんら問題と思ってないらしくて、1年以内の保証期間内なら交換しますよーみたいなことを言ってケロリとしている。で、1年4カ月ぐらい腕につけ続けていたらいよいよ今日、バンド部分が大幅に剥がれてきた。まぁ、かろうじて一部ひっついているし、まぁ帰宅してからセロテープで応急処置してシリコンカバーをかけたので、たぶんすぐに壊れるということはないとおもうけれど、まぁしかし、どうしようかなあ。接着剤を買ってきてもう少し補強してもう少し使うか。それとも、後継機種が出てることだし、買い替えようかしら(後継機種のほうは、バンドの交換もできるので、ながもちしそうなのだった)。

2017-07-21 はれ。金曜。

[]『三里塚 五月の空 里のかよい路』『映画作りとむらへの道』みた。三里塚シリーズ最終作。ていうか、三里塚シリーズって何だったのか。

三里塚シリーズ DVD BOX

三里塚シリーズ DVD BOX

小川紳介見るシリーズ。三里塚シリーズの最終作と、DVDボックスに収録されたメイキング。『三里塚 五月の空 里のかよい路』のほうは、前作から4年たっている。その間に、小川プロ一団は山形に移住しちゃって、農業をはじめてる。それで、ひさびさに三里塚を訪れて農業についての映画を撮ろうと思って撮影をはじめていたら、数日後に鉄塔が倒されてしまったりして、またそういう映画になってくる。ところが、なんか鉄塔が倒されたことにかんしては村の人たちのインタビューもえらくのんびりしているように見えるし、なんかしょうがないなあみたいなかんじでへらへらしているようにみえる。公団のヘリが畑の上でホバリングするんでビニール栽培してるスイカが風でめちゃくちゃになる。畑のおじさんやおばさんはひどく怒っているけれど、キャメラはそれを農家のおじさんおばさんが怒ってるように撮るんであって、反対派どうのこうのというふうには撮ってないようにみえる。依然として団結小屋周辺で衝突がある様子も映り、催涙ガス弾の水平撃ちの直撃で村の青年が亡くなってしまう。だけれど、激烈な反撃の炎が燃え上がる的なことは描かれずに、村の人たちによるどっちかというと静かな野辺送りの様子が描かれるし、また、畑に落ちているガス弾のカラを拾い集めて、医者にその毒性について説明させたり、トウモロコシがガスにやられて枯れている様子を映したり。なんやかんやで農業目線になっていくわけである。三里塚シリーズって何だったのか。

たとえば、三里塚シリーズを見たことない人に、どれか一本オススメ、というのであれば、もし自分が無責任に選ぶとしたら第三作『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20170708#p1)だろうと思うけれど、それは人として無責任に過ぎるのでやってはいけないことだと思うわけである。

2017-07-20 はれ。木曜日。散髪。

[]『三里塚 辺田部落』。村のほうに目を向けている。

三里塚シリーズ DVD BOX

三里塚シリーズ DVD BOX

小川紳介見るシリーズ。前作の冒頭あたりで、(少なくとも映画上は)正面衝突的な闘争はあらかた大勢が決してしまったかのようで、本作ではもっぱら村のほうに目を向けている。若者たちは大量に逮捕されて投獄され、あるいはリーダー的な一人は悲痛な遺書を残して自死を選び、共同墓地まで接収されてしまい村人はやむなく墓を掘り返して移す。村の家にいきなり機動隊がわらわらとやってきてガサ入れしたり、また若者を逮捕していったり、ま、やりたいほうだいである。で、村では寄合をやってあれこれ話し合いをするシーンが延々続いたりして(例によってなまっているからさっぱりわからない)、あるいはおばさんたちが野良の一休みのときにお茶を飲みながら噂話をしたりしているのをみると、なんか、鬼に若者を連れ去られる民話の村のおはなしに見えてくる。もうさっぱり空港とかかんけいないような、古老の昔話だとか、おばさんたちがやる子孫繁栄の祭りだとか、そっちのほうに目が向いているわけで、まぁそれはそれで、卑劣で非人間的な国家権力に対する生き生きとした村の農民たち、みたいなことかもしれないんだけれど、まぁ、見てると、しみじみと負けたんだよなあと思うよねえ。ところで、逮捕される青年のひとりの名前が、字幕で、瓜生なんとか君、というふうに出てきて、あれ?と思って調べたら、やはりそうだったわけで(どこかで読んだことあったんだろう)、その瓜生なんとか君の弟?が、小川プロ撮影班となかよくなってうろちょろしているうちに小川プロに入ってしまい、そしてキャメラを持つようになって、そして黒沢清神田川淫乱戦争』『ドレミファ娘の血は騒ぐ』で商業映画デビューする瓜生敏彦という人なのであった。

2017-07-18 くもり。火曜日。

[]通勤電車で読む『再起動する批評』。コミュニティをつくらないといけないというのにはその通りと思う。

佐々木という人と東という人が、「ゲンロン批評再生塾」というのを運営していてその第一期の記録がこの本であると。で、批評再生塾というのは、批評家志望の人たちを集めて毎回講師が課題を出して文章を書かせてプレゼンさせて、公開でコメントしてランクつけて競争させて、そういうのをずっとやったあげくに最終的に一人が雑誌デビューする、という企画らしい。で、そこで第一期生の総代になった人の評論というのも載っているけれど、まぁそれはまぁいまいちぴんとこなかったのだけれど、ともあれ、なんでそんな塾なんかをやっているかというのがもんだいで、つまり、批評というのがいま業界としてダメになってるとして、それが再生するには、なんか天才的な人が個別で出てくるのを期待してもうまくいかんよと。書き手と読み手を含むコミュニティができることで、そこから才能を持つ人も出てくるかもだし、コミュニティができていなければ、個別に天才の人が頭角を現そうとしても、つぶれてしまうことになるよと。たとえば批評で頭角を現しても、それがありきたりな社会的「役立ち」っていうか社会批判っぽいなにかみたいな流れに回収されていってだめになっていく。批評は批評としておもしろいだけでいいのだ、役立つとか関係ないでしょう、と言い切ることができるオーディエンスが一定量いなくては、ダメであって、それはちょうど大学がダメになってしまって、学問は学問としておもしろいだけでいいのだ、役立つとか関係ないのだ、と言い切れなくなってこのていたらく、というのと同じことであると。そこのところはそうだなあと思い、だからコミュニティをつくらないといけないというわけで、それがつまりこの批評再生塾なのだ、ということで、なるほどと思いつつ、まぁいかんせんそこで総代になった人の文章がピンとこないのでそれはさしあたりわたくしとは無関係のコミュニティではあるのだろうとは思うけれど。