15時45分くらいに家を出て16時くらいに灘図書館に着いて、まず人の多さにびっくりして、平日なのにこんなに人がいるもんかと思って、老若男女、ひいては家なき子というか家なき大人らしきおじさんもいて、図書館を出たのが17時30分くらいで、出てからカレーを作るといっていた姉ちゃんに電話してみるとハヤシライスになったようで、パンを買ってこいとの指令が出たので、地蔵屋の食パンを買うべく東へ歩き、地蔵屋の食パンはいつのまにか570円になっていて、去年は550円だったか。地蔵屋から北というよりも正確には西だけれど、山のほうへ歩いていく途中に、ああ、その前に灘図書館から地蔵屋へ行く途中のどこにでもあるワンルームマンションを見ながら、部屋のかたちはどれも同じだけどカーテンの柄とか色が違うな!当たり前だけど!と思って、これからワンルームマンションを見るときはカーテンの違いに気をつけようと思って、地蔵屋から北というよりも正確には西だけれど、山のほうへ歩いていく途中に、イヤホンでウォークマン(かMDプレイヤーかCDウォークマンipodかそういうのが再生する音楽)を聴きながら、片手にカルビーのポテトチップス(うすしお)、片手に犬の首輪につながったリードを持って、ベドリントン・テリアだかフォックス・テリアだかボーダー・テリアだかとにかくテリアっぽい犬の散歩をする若い女性を徒歩で追い越した。灘図書館ではモーリス・ブランショ「来るべき書物」のなかの「文学の消滅」、佐々木正人/三嶋博之/松野孝一郎「アフォーダンス (複雑系の科学と現代思想)」のなかの三嶋博之「アフォーダンスとは何か」と佐々木正人「あとがき」、ジル・ドゥルーズ「記号と事件―1972-1990年の対話」のなかの「口さがない批評家への手紙」と「フェリックス・ガタリとともに『アンチ・オイディプス』を語る」「仲介者」のふたつを流し読みしていたら1時間半発っていて、ハヤシライスを食べたあとに行ったブックファースト六甲店で買ったジル・ドゥルーズ「記号と事件―1972-1990年の対話」の文庫本の訳者(宮林寛)あとがきより

ドゥルーズの徹底した対談嫌いは、本書でもくりかえし「言論」の不毛にふれているところからも、すでに明らかだろう。議論したところで何も生まれてこない。そんなことに時間を費やすよりも、各人がかかえている問題を見極め、それができるかぎりクリエイティブなものになるよう実践的な作業をおこなうべきだ―そんな立場をとってきたドゥルーズが、なぜ対談を?

宮林寛さんが出したこの問いへのふたつの回答のうちのひとつ

ところで、同じ問いにたいする答えは、本書の対談相手のひとりでもあるクレール・パルネとの『対話』にも表れていた―対話とは、一個独立した人格としてあるふたりの人間が起点となって見解のやりとりがおこなわれることではなく、両者の「あいだ」で、おのおのが自分以外のものになる生成変化によって成り立つ。だからこそ、「いま、ここ」にしばりつけられた言表行為の主体をあぶり出す話し言葉を回避して、『対話』はドゥルーズとパルネによって書かれた擬似対話の形をとったのだし、しかも共著者のうちのどちらがどの部分を書いたのかもわからないように仕組まれていたのだった。

「対話とは、一個独立した人格としてあるふたりの人間が起点となって見解のやりとりがおこなわれることではなく、両者の「あいだ」で、おのおのが自分以外のものになる生成変化によって成り立つ。」あと、エドワード・W.サイード「知識人とは何か」も欲しいなあと思ったがいまのところはやめる。ひとつ重大な落とし穴は、自分は反省している、と思う/言う/書くことで安心してしまうこと。思う/言う/書くことはそう簡単に自分の実際の行動の規範にはならないし、いまヘッドフォンから流れているハルカリ「音樂ノススメ」がぼちぼち終わりそうなので、久しぶりにリップスライムでも聴こうかなあと思う。とりあえず手元にあるのは「TOKYO CLASSIC」と「Time To Go」くらいでどちらも妹のやつを勝手に借りているのだけれど「Time To Go」のどこか後半のあたりでCDスキップを使った曲があったよなあといま探してみたけれど見つからず、浅田彰「構造と力」はこれを書き始める前に読み終わって、最近やっと読書の仕方が分かってきたかもしれない。読んでいるあいだ、章の途中でやめたらいけない。忘れるから。きりも悪いし。章単位で読めば、いろんな本を同時(期)に読んでいても、ややこしくない、というか相互に作用することすらある。ん、これどっかで聞いたあれと関係ありそうだな、この本じゃないな、おお、昨日のよる読んだあれのあれか!という感じで。といっても「構造と力」で2回出てくるゲマインシャフトゲゼルシャフトということばについてはいまだよく分からない。ちょっとだけ読んで放置しているマックス・ウェーバー「理解社会学のカテゴリー」に出てきていたなあ、というくらい。ゲゼルシャフトっていうことばの響きはけっこう好きだ。と思っていたら、橋本努さんという方が(大学教授かな?)自身のウェブサイト(http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/)で公開されている講義のレジュメを発見して、これを参照しつつ読んだらゲマインシャフトゲゼルシャフトがいったい何のことか分かるかもしれない。