ゴロワーズを吸ったことがあるかい



 ひょんなことからかまやつひろしの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の映像を見つけた。いつごろの映像かは分からないが、割と最近収録されたものと思われる。

※ブログに貼り付けても再生されないようなので、こちらからどうぞ。↓
http://www.youtube.com/watch?v=p9dvzMycoP0
 70年代にヒットした「我が良き友よ」のB面に入っていたもので、ファンキーな曲調から和製レア・グルーヴの一種として90年代に再評価された名曲だ。オリジナルはちょっとフィリー・ソウル風でもあり、ホーン・セクションとしてタワー・オブ・パワーが参加していることでも知られる。この映像ではさらにファンク色を強めたアレンジになっており、バンドの音もなかなか良い。
 私もレコードを持っているし、好きな曲ではあったが、この映像を見て歌われている内容を初めて知った。恐らくは周知の事実であって、今更何を言うとんねんと思われるのを覚悟の上で引用。注目すべきはこの3番の部分からだ。

君はたとえそれがすごく小さな事でも
何かにこったり狂ったりした事があるかい
たとえばそれがミックジャガーでもアンティックの時計でも
どこかの安いバーボンのウイスキーでも


そうさ何かにこらなくてはダメだ
狂ったようにこればこるほど
君は一人の人間として幸せな道を歩いているだろう


君はある時 何を見ても何をやっても
何事にも感激しなくなった自分に気が付くだろう
そうさ君はムダに年をとりすぎたのさ
できることなら一生 赤ん坊でいたかったと思うだろう


そうさすべてのものがめずらしく
何を見ても何をやってもうれしいのさ
そんなふうな赤ん坊を
君はうらやましく思うだろう

 1〜2番ではゴロワーズというタバコへのこだわりと、付随するイメージ、フランス映画に映し出される光景との戯れが歌われている。その部分はぼんやりと頭に入っていたので、今の今まで単にそういう歌だとばかり思っていた。それだけにこの3番以降にはやられたなあ。
 簡単に言えばこれはオタク賛歌なのだ。執着する対象が何であれ、こだわりこそが人生を豊潤にしてくれるのだと言い切り、物事への執着心を失うことは生を無化するとまで言っている。この曲が書かれたのは1975年。まだオタクという言葉が存在しない頃だ。
 80年代以降オタクという名称が与えられ、まだ嘲笑を含んだ意味合いで呼ばれるとはいえ、今では市民権すら獲得してしまった感がある。市民権を得るということは即ちマイノリティではなくなるということでもあり、今ではオタクをターゲットとしたビジネスもできあがっていて、無視できない市場を形成している。
 それは必然でもあるので、仕方ないといえば仕方ないのだろうが、本来的な意味からすればオタクの目指すべき地点ではないように思う。メディアに踊らされ、従順な消費者と化しているだけなのではないか。限定版を謳って発売されるアイテムに血眼になって群がったり、またそれを投機目的で手に入れたりね。
 オタクとは損得などと無縁のところで、自分の感性に訴える何かをとことん掘り下げるのが正しい姿だろう。海図もコンパスも持たず、大海にオール1本で漕ぎ出す無謀さ。そこに精神的な充足を見出すのであり、だからこそ尊いのである。30年以上前に「赤ん坊」というメタファーを用いてそれをほのめかしている、つまり無垢なる好奇心こそが人間性の根幹だと訴えているこの曲の鋭さには身震いを覚える。