うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

【フロイトの書き方】より


 何か、すっきりしないお天気です.....。
体調不良のかたも見られるので、ご自愛下さるようにお願いいたします。
 今日は夜勤で、会議のレジメを見直したり、総会のレジメも作り始めたり、少し本を読んだり、ノラ・ジョーンズのShoot The Moonのアレンジを始めたり(笑)まとまりのない一日になってしましました....。
 

 本は『フロイトの書き方』に入りました。
北山修先生が何かの本で紹介していたので、少し前に購入していました。
これが前回購入した本で唯一開いていなかったので、読み終わる前にまた購入しようと思っています。

 思い悩むことがあって、ある人に相談したら、自分の考えややり方を上手く表現できていないのではないのか?
上手く表現できるように勉強しろ!ということでしたので、ちょうど良い本かも知れませんね。

 取り敢えず(笑)夜勤に行って来ます!


『彼は決して同じことを2回繰り返して言ったりはせず、またレトリックだけに引きずられて言葉の美しさに溺れてしまうこともなかった。その言葉遣いの単純さは、言葉自身の美しさを際立たせた。』


日本語版への序文
2)古代ギリシアでは、医学はもともと言葉による治療――修辞的治療――だったのですが、ヒポクラテス的な身体的医学の出現によって一変しました。その圧倒的に身体的な方向づけによってえるところもあったのですが、失われたものもありました。西洋では、18世紀になってようやく、言語的治療が医学の内部で復活しました。その新しい方向性のなかで、その後、精神分析が生まれたのです。

3)精神分析は書くことによる治療として生まれました。『夢判断』を書こうとしたとき、フロイト派急に執筆の途絶に陥ったのですが、そのことが彼を自己分析へと駆り立てたのです。フロイトの著述の経歴で最も称賛された部分であると同時に最も曲がりくねった部分は彼の体系的な自己分析でしたが、それは夢に集中したもので、書くことにおいて遂行されたのです。フロイトがこの自己分析の間、話すことによる治療にただの一度も至らなかったという歴史的事実は、他者との交流や自己との交流の道具としての書くことに、より大きな重要性を与えています。

5) 「汝自身を知れ」とソクラテスは言いました。分析家ならこう付け加えたでしょう。もしも完全に自分を知ることができるとすれば、神経症など存在しないと。それゆえ、人はもうひとりの人を通ししてのみ、つまり、そのもうひとりの人への転移を分析することによってのみ自分をしることができるのであると。

6)ドイツ語で転移に関わる“tibertragen”の過去分詞は、そのままでメタファーの意味を持ちえます。すべての精神分析的治療は徹頭徹尾メタファー的であり、もしも患者が制限されたメタファーを語れば、その時点で治療は二重にメタファー的なものとなるのです。

8)われわれはただ話す動物であるというにとどまりません。われわれは物語を作り、物語る動物なのです。分析を受けに来る患者は、自分の人生を正しく語ることはできません。患者の物語は省略と歪曲に満ちています。彼らは分析の過程のなかでようやく、多くの省略や歪曲を排除していくのであり、その結果として、より筋の通った物語をもうひとりの人、つまり重要な人物としての分析家に語るようになるのです。



1,フロイトが書いたものの広がり――概観
〜彼は決して同じことを2回繰り返して言ったりはせず、またレトリックだけに引きずられて言葉の美しさに溺れてしまうこともなかった。その言葉遣いの単純さは、言葉自身の美しさを際立たせた。

彼の話は、そのまま印刷されてもよいくらいだった。それは鋭く、想像力をかき立て、比喩やアナロジーや物が経ち、とりわけユダヤのそれに満ちていた。そして、それは言葉巧みとうのとは違っていた。フロイトは本のごとく語ったのである。

……彼は、言葉を選ぶに当たって鋭く正確だった。身ぶりは少なかったが、彼の表情は自然で率直だった。〜