黎明17 民衆芸術に就いて

   民衆芸術に就いて

 勿論私は、トルストイの云ふやうに、民衆的のものでなければ芸術でないとは考へてゐません。しかし、ある芸術家のやうに、民衆の解しないものでなければ、芸術でないと考へるやうな、一人よがりの議論も変だと思ひます。
 民衆に解るから下等だと考へたり、民衆が悦ぶから浅薄だと考へることは、自我狂の芸術論です。
 民衆芸術が喧しく云はれて来たのには、社会的に大きな原因があります。十九世紀の中頃までは、個人主義が跋扈してゐて、総ての社会に分解作用が行はれました。フランスの大革命すら、組合主義に反対しました。その精神を受けて、ナポレオン皇帝は、ギルド組合を解体させてしまったくらゐです。極端な自由主義は、民衆を一種の下等なものと考へました。これが芸術の上にも現れてゐます。
 ところが。十九世紀の半頃から、再び協同組合が、その必要を感ぜられ、大都市に大群衆が群がるやうになって来ました。それで、中世紀の民衆芸術とは、異った意味に於いて、民衆が芸術を要求するやうになって来ました。中世紀には、文字の読める人がなかったものですから、説明的の意味に於いて、民衆芸術が利用せられたのですが、新しき民衆は、群集意識と、意志表現としての芸術を要求するやうになってきました。
 それですから、二十世紀の民衆芸術は。或る止むに止まれない群集の意志を表白する気持から出発してゐます。中世紀の民衆芸術は、宣伝が中心でした。けれども、二十世紀の民衆芸術は生活が中心です。勿論、生活中心から離れて、中世紀式宣伝本位の民衆芸術を考へる連中も無いではありません。しかし、さうした芸術は、あまり気持のいいものではありません。或る止むに止まれない気持から出発した、民衆の意志の表白といふものは、フランスの国歌『マルセイユ』の行進曲のやうに、流行らすものがなくとも、自然と民衆的なものになります。民衆は自分の選ぶべきものをよく知ってゐます。真正の民衆芸術は単なる宣伝で出来上るものではありません。その時代の精神とぴったりしなければ、決して民衆的のものになるものではありません。
 この点に於いて、民衆は、言葉は少し悪いですが。非常に宗教的です。悪に向っても、善に向っても、民衆は宗教的です。破壊的な戦争に対しても、建設的な憂国運動に対しても、例外はありません。
 民衆は、個人に比べて、常に神秘的です。懐古的です。情熱的で
す。ローマンチックです。ですから、群衆は、密室で読む頽廃文学などとは、全然形の異った講談趣味のやうなものや、剣劇的なものを愛する傾向を持ってゐますが、それには、民衆の昂奮性が常に加はってゐるからです。民衆は衝動的で、しかも表白的です。民衆は感覚の全部が一致しなければ承知しません。民衆は視て、聴いて、歌って、飲んで、触れて、踊って、最後の石を投げなければ、承知するものではありません。
 それですから、よく芝公園などで行はれる示威運動などを見ても、凡てが劇的に運びます。旗を立てて、太鼓を叩いて。演説し且つ拍手をして、四斗樽の鏡をぬいて、大勢で飲んだ上で、踊りつつ躍進を始め、警官と取組合ひをして、最後の石を投じなければ承知しません。この劇的な要素を、オペラ劇とページェントが持ってゐます。
 それで昔から、民衆の最後の娯楽には、いつも演劇が最高の催し物として演出されてきました。古代ギリシヤのオリンピア時代から、今日武蔵野の秋祭に見る神楽芝居の催し物に至るまで、仝く同
一の民衆心理が支配してゐると云って、差支へないでせう。
 この意味に於いて、民衆芸術を本位とする演劇の如きは、実に重要な使命を持ってゐます。沢正の新国劇が、或る堅実さを持ってゐるのは、この民衆の道を行かうとしてゐるからだと私は思ってゐます。沢正も天分を持った人でせうが、大正及び昭和の民衆も、彼を創作するのに大きな役目を持ってゐたことを考へねばなりません。演劇は民衆意志の或る種の噴火口です。沢正は民衆の持ってゐる意志と感情の噴火口の直径を示してゐます。それで、私は絶えず彼の行動に注意して、民衆の動き方を測量してゐる訳です。沢正を民衆感情の『ゲーヂ』に用ひては、誠に済まないが、彼の役目はそんなに重要なものです。彼は、煽動家以上の大きな役割を務めてゐると云へませう。