石堂藍が語る円城塔


オブ・ザ・ベースボール (文春文庫)


268 :名無しは無慈悲な夜の女王2012/04/18(水) 13:33:46.94
石堂藍が語る円城塔

いい書評が出れば変わると言ってるけど、いい書評は出てるよな。
ただ注目度が低いだけだと思う。


■道化師の蝶を買ったこと 09:00
この、日本で一番有名な文学賞を取ると、文芸界での扱いが違ってくるのがよくわかる。文芸雑誌のコーナーを見ていて、そう思う。

7日の東京新聞夕刊には円城塔のエッセーが掲載された(その前には田中慎也のものも掲載されている)。たぶん各紙で同じ事をしているだろうから……。

円城のエッセーは落語の前振りのようなおもむきで(実際にそれを意識したのかも)、へんてこりんかもしれませんが気が向いたらお付き合い願います、と言っている。その前日の田中慎也のは、不機嫌な調子ではあったが、
言っていることは同じで、自分は社会性のかけらもないし、これからもずっとそうだ、だが作品は書く(から読んでくれ)。

田中慎也は筆力のある人で、その作品もなかなかおもしろい。いかにも日本的な内容で、一般にもわかりやすい。

一方の円城は、受賞直後の「大波小波」で一般人には難解で歯が立たない、みたいなことを言われてしまうほどだ。難解なのじゃなくて、普通じゃないだけなのだが。
選考委員にもわからないと言われてしまうという状況で、何か気の毒な感じ。
前にも書いたけど、良い評論がなされると、見方も変わってくると思う。
これでは、とにかく前衛だから受賞した、みたいな感じだ。
……まあ文芸界のレベルでは、そうなのかもしれないけど。

そういうこともあって、紀伊國屋に行ったら、受賞作が並べて平積みになっていた。一冊だけ円城の本の方が山が高かったので、それを取って、購入した。
最近、めったにリアル書店で本を買わないから、とても贅沢をした気分である。




269 :名無しは無慈悲な夜の女王2012/04/18(水) 13:35:39.50
石堂藍が円城に好意的だと?



270 :名無しは無慈悲な夜の女王2012/04/18(水) 13:38:08.15
もう一つ石堂藍円城塔関連記事を投下



271 :名無しは無慈悲な夜の女王:2012/04/18(水) 13:38:29.55
文学の未来 09:17
東京新聞の「大波小波」から

円城塔「これはペンです」間宮緑「塔の中の女」を取り上げて、褒めている。巧緻さや新しさ。読ませる力。
しかし「人物の肉体的存在感はゼロ」で、三浦哲郎などを引き合いに出し、「東北の風土、何より血に深く繋がる小説の〈肉体〉的実感こそ懐かしい」と批判に転ずる。
「頭とキーボードで仕上げた小説の、肝ごころの無さが、その行方が気づかわれるのである。文学、これでいいのか」。

文学? もちろんこれでいいのだ。
何も円城・間宮だけが小説を書いているわけではないし、彼が文学の未来をすべて背負っているわけでもなんでもない。
世の中にはたくさんの小説があり、いろいろなものが書かれていて、それでいいのだ。
新しくてかつ読ませる小説なんて、最高のレヴェルだ。それ以上、何を望むのか。




272 :名無しは無慈悲な夜の女王:2012/04/18(水) 13:39:28.21
つづき

だいたい批評者が言及したボルヘスだって、短編作家だからかもしれないが、肉体的存在感なんてものはからきしなかった。
村上春樹吉本ばななにだってない。春樹などは「羊」の頃からそういうことを言われていなかったか。
にもかかわらず、春樹の今の持ち上げられ方はどうだ。
だから、春樹と較べてもさらにそうなっていて発展性がないというならまだしも、
三浦哲郎のように特異な環境に育って〈血〉に深くこだわらざるを得なかった小説家を引き合いに出すのは筋が通らない。
二つの別々のことをむりやりにくっつけたような感じだ。

今、長男がドストエフスキーの『白痴』(木村浩訳)を読んでいる。興味はないがおもしろくてすごい小説だと感嘆することしきりである。
主人公の公爵はこの世にいそうもない人間だが、この小説はやはり傑作だし、今の若者にもすごいと思わせる力がある。
(翻訳もどれだけ正確なのかは知らないが、読みやすい。)
150年も前の小説が、文芸として、今なお力を持つ。しかしだからといって、ドストエフスキーのような小説が、今書けるのか? 
ま、難しいだろう。
何が書けるのかは時代にもよるわけだから、物書きは、今、自分に書けること、書きたいことを書くしかないわけである。

で、ドストエフスキーのように残る物は残る。ああ、なに当たり前のこと言ってるんだろう? 
そしてドストエフスキーのような物が読みたければドストエフスキーを読めば良いし、三浦哲郎みたいなのが読みたければそういうのを読めば良い。
これだけたくさんのものが書かれているのだから、よりどりみどりである。

私も論点がずれてしまった。物語の歴史について考え続けていて、頭の中がすっかり未整理になっている。
要するにこの「大波小波」を読んで考えたのは、文学の方向性は360度の広がりを持っていて、一つ二つのの作品で全体を推し量ることなんかに意味はないということだ。
「文学の危機」とか「文学は死んだ」とか「文学の未来」とか、文学と絡めて大局的な言葉をやたらに使いたがるけれども、
その視野はあまりにも狭いのではないかということだ。





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