「農家」差別

放送禁止用語」とか呼ばれている「アンタッチャブルな言葉」がある。
放送だろうと出版だろうと、言葉を扱う商売をしていると、どうしてもそのへんのことで面倒が起きることがあるのは困った話。

原因の一つは政治的な問題。
今でも「そういったあたり」では「台湾」という言葉を使うと大変に面倒なことになったりする(比較して言えば南北朝鮮関連では両者はかなり寛大だ)
そのへんと同じベクトルの問題で、「満州から引き揚げてきた人」という表現に「中国に行ったことのある人」とわけのわからない修正をされたことがあった。その人に教えてもらった満州餃子の作り方の話をしていたのだから、鳥取や島根から帰ってきた人に受け取られてしまってはたまらない。
……もっとも、これは「読者のコアターゲットが理解しにくい表現だと思うので」という理由で、全く政治的な理由がなかった、なんてオチもつくのだけれど(30代男性がメイン購読層だというのだけれど、そんなものか?)。

もう一つはいわゆる「差別語」の問題。
もちろん、穢多だとか非人のように成り立ちからして差別以外のなにものでもない言葉もあるのだけれど、たとえば「おし(唖)」や「つんぼ(聾)」のように、それが差別的に使われることがあるからという理由で、いわば「触らぬ神に祟りなし」「寝た子を起こすな」と使用しないことになっている言葉の方が多い。中には「片手落ち」のように解釈論で差別語扱いされているものもあったりする。

フェミニズムセクシャリティ方面でも用語の問題は多い。
「ホモ」や「レズ」も差別語扱いされてPCの対象になっている状況は、前述の「おし」や「つんぼ」の状況に輪をかけて恣意的で、さらに拡大された「差別的に使われているから」「そう呼ばれるのを嫌がる人がいるから」という消極的な対処療法が行われている側面もある。
「ホモ」の言い換えに機能している「ゲイ」については、より用語として的確(「ホモ(セクシャル)」は本来同性愛全体を指す)としても、同様の「ビアン」については、ともするとその方面に関心のある人にしかわからない表現ではないのか?(そのせいか少なくとも一般の出版放送では言い換え語としての機能はしていない)
一方で、拙日記「PCの中にある差別1」で書いたように「オカマ」という「女装の男娼」を指す言葉が軽々しく男性同性愛者に対して使用される状況は放置されているようにしか見えないし、フェミニズム方面でも「主人」「旦那」「家内」といった構造差別的な問題は見過ごしというか、問題視されてすらいないようにも見える。

つまり、誰も言葉本来の意味など考えようとしていないんだろう。
PCも、言葉狩りも、戦後民主主義的平等も、でっちあげられた誰かにとって都合のいいルールを、思考停止状態になった「価値観の奴隷」たちに精神安定剤のように無理矢理飲み込ませたようにしか機能していない。

そのような、ある種の言葉があたかも差別を内包しているかのように成しているやり方は、決して差別を駆逐しない。むしろ、差別という思想や行為を言葉遊びであるかのように矮小化することによって、北川悦吏子のような差別者を生むことになった(彼女が「愛していると言ってくれ」や「オレンジデイズ」に関連して発言した“差別”については、拙日記「あがない」などで書いた)

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