放課後は 第二螺旋階段で

モバイルでは下部のカテゴリ一覧を御覧ください。カテゴリタグによる記事分類整理に力を入れています。ネタバレへの配慮等は基本的にありません。筆者の気の向くままに書き連ねアーカイブするクラシックスタイルのなんでもblog。「どうなるもこうなるも、なるようにしかならないのでは?」

時間のかかる書評

 スタニスワフ・レムの「虚数」についてじりじりと制作中・・・・・・
 文章力や表現力で劣っているからどうしても引用部が長くなりがちで、それを調節したり。
 自分の批評論や哲学についての知識がごくごく薄いものでしかないので、自分の「感心」に対しても、自分の中に「本物の批評家」や「本物の哲学者」といった存在を想定して「キサマ等の居る場所は既に我々が2000年前に通過した場所だッッッ」という意味合いの批判をさせてしまうのでなかなか進まなかったり。
 ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」も読んだことが無い自分は人間失格なのかもしれないと考えるようになったり。


 あと、スタニスワフ・レムがよく書く「非人間的知性」が気に入っているのと、下の「ミュータント的とも言える先鋭的さ」は自分の中ではほぼ直接に繋がっていると思います。「人間性」を捨てて「人間性と呼ばれるものによく似ている理想の自我」を求めようとする感性です。

はっきりいってぼくはナルシスト!

 他者から受け入れられることが永久に無い人間なのではないのかと考えて、自分だけで全てを完結させられるように組み立てているのです。
 そのためにも、自己批判は永久に繰り返される。目は自分にしか向かわない。
 ヒトに対して優しく振る舞おうとすることと真心は繋がっていると考えられがちですが、自分にとっては優しい行動をとるのか意地悪な行動をとるのかということは、ただ「そうする方法を知っているかどうか」というだけの問題でしかありません。知っていれば「優しく」します。知らなければ「機械」になります。それだけ。「優しい行動を選択すること」は「そうするようにあらかじめプログラミングしている」

(上の引用部の文章自体、本来の意味での「ナルシシスト」そのものかもしれない)