バックロブ(PD−288)

嫌なところにロブが上がった。僕は自分の左バック側に上がったロブを呆然と見過ごしていた。というか初めからあきらめていた。でもそれはフラフラ上がった簡単なロブであった。つまり?僕は夢の中でも老化していた。こんな球なら逆にチャンスボールである。

普通逆側のハイバックはテニスの弱点である。プロでも大抵ハイバックボレーで返すのがやっとである。でも僕は逆にチャンスボールにしていた。つまり我流テニスで僕は、その球をバックハンド・スマッシュとして両手で打っていた。まるで剣客の大上段切りのように…。

でも夢の中では僕はその技術を?忘れていた。老化で今まで出来ていたことが出来なかった。でも気にすまい。現状今ではテニスをやる事さえおぼつかない。つまりヨボヨボのヨレヨレである。だから夢というものは結構残酷である。つまり現在の自分の体力を平然と映し出すものであった…。

神社を建てる?(SD−81)

今日は数時間、先ほどまでリビングの続きの6畳間で午睡をむさぼっていた。と言っても目を覚ますと午後7時を回っていた。僕はとんでもない夢を見ていた。場所は多分小樽の家の裏庭。僕は一生懸命神社の御影石の鳥居を建てている。鳥居の柱の直径は30センチ以上もありそうだ。僕は重さを感じずに鳥居の柱を担いでいる…。

でも神社を建てるからには、その神社の御霊が必要だ。何という神様なのか?例えばスサノオの命(みこと)とか、アマテラスとか、あるいはもっとマイナーな神様など、日本神話に続々出てくる神々だ。例えば住吉神社ならば海の神、航海の神など。

でも僕が祭ろうとしている神様は一体誰だろう?以前僕は自分の神が住吉様であることを夢で気づかされた。だから多分住吉様だが、住吉様にも複数の神々がいる。それはインターネットですぐに調べられる。僕はその神様を自宅で祭らなければならないのだろうか?もし必要であればもう少し夢を、もっと具体的な夢を見せて欲しい…。


今日は突然の夢でちょっと困惑している。個人で特定の神を祭るのにはどうすればいいんだろう?我が家には神棚さえないのに…。

猫の女王(PD-287)

以前に僕のもう一つのブログ「ひぐらしプランナーの時々日記」で、僕のマブダチ・猫のブンタの事を書いた。ブンタは僕の長女の家の飼い猫で、僕ら夫婦が長女の所に2年?居候していた時に、僕とブンタはマブダチになった。ブンタはオスの去勢猫で、出自は立派な捨て猫である。姉夫婦が道を歩いている時に、段ボールに捨て猫が数匹おり、その中の一番きれいで毛並みのいい猫を拾ってきて、猫ショップに預け、しつけをしてもらい、その後家猫として飼い始めた。

ブンタは捨て猫のくせに随分オットリしたいい奴で、僕とブンタはすっかりマブダチになった。だからその後ブンタが10数年後死ぬと僕もかなりガックリと落ち込んだ。そしてその時考えた。猫にもあの世、あるいは天国があるのだろうか?あるのであればどうか猫の天国に行ってほしい。ブンタはそれだけいい奴だった。彼は死ぬ時にも苦しい息の中でコウチャンの帰りを待ち、彼の顔を見てから静かに息を引き取った。コウチャンとは長女の旦那である。

僕はその夜夢を見た。ブンタの夢ではなく、猫の天国の?夢である。僕が下から見上げると、嵐になりそうな青い空とモクモクの雲の中に猫の女王がいた。女王はキリリとした顔をして冠をかぶり、長いガウンを着てスックと立っていた。つまり直立していた。そして僕を厳しい目で見下ろしていた。まるで「ここはお前の来るところではないヨ」と言っているようだ。でも僕は少し安心した。ブンタが猫の天国に行き、しっかりした猫の女王のもとにいるのなら、何の心配もない。ブンタよもし縁があったらまた会おう…。


夢から察するに、人には人の、猫には猫のあの世があるらしい。すると犬にも犬のあの世が有るのだろう。僕は何となく安心した。あの世や天国が人間だけのものならば、それは随分不公平な話だ。人間の大昔からのパートナーである犬や猫にも、死後幸せな天国があった方がいい。でもすると地獄もあるのだろうか?悪い猫が死んで地獄へ行き、それがバケ猫になって出てくるなんて?でもそれは考えないようにしよう。猫の天国だけで十分だ…。

久しぶりのブログ(PD−286)

近頃パソコンをあまり触っていない。おかげでブログも中々書けない。本当は僕のもう一つのブログ“ひぐらしプランナーの時々日記”に書きたいのだけれど、何故だか上手く書き込めないので、やむを得ずエスパーの方に書いてみる…WHY?

この頃は桜も終わって今はハナニラの白や薄青の花が美しい。そしてもう少したつとアメリハナミズキの花が咲き始める。いずれにしろ春はやはり華やぎに満ちた季節だ。でも僕は相変わらず週3回の人工透析に通っている。でもヒョットすると僕にとっては定期的な歩行運動になっているのかも知れず、そういう意味では69歳の僕にとっては透析通勤?は健康保持運動として有効かもしれない…。

近頃は何だか表に出るのが面倒で、リビングに横になりテレビをボ〜ッと見ていることが多い。これはやはり老化に違いない。1〜2年前には毎週のように鎌倉の山道を歩いていたのに、やはり体力・気力が落ちているのに違いない。でもテレビに流れるニュースもつまらないものが多い。特に北朝鮮の例のカリアゲ兄ちゃんは、一人で騒いで国際的危機を造り出そうとしている。多分騒いで国際的危機を造り出さないと、自分の体制が維持できないのだろう。何と愚かしい自家発電だ。

それを見ていると権力保持の何と愚かしい事か?もっと怒った肩の力を抜いて、美人の女房と楽しい日々を過ごせば良いものを…。でもこれはキム・ジョンウン一人の問題ではなく、多分独占階級である軍部の権力保持がかかっているんだろう。もし国際的、軍事的危機がないと分かれば北朝鮮国民が騒ぎ出すだろう。そして北鮮軍はその特権的地位を失うだろう。でも国民にとってはその方が幸せに違いない。隣の韓国が発展したように、北朝鮮も民主体制を取ればもっと豊かな国になるだろう。だからこうなると一国の政治の難しさが分かる。民主政治を妨げるのは特権階級の存在である。これは中国も同じことが言える。

中国の民主化もいずれは起こってくるに違いない。そうなれば共産党一党支配は崩れ、中国は一時的に大きな混乱に襲われるだろう。何しろ13億?の民衆だ。これは考えるだけでも恐ろしい…。でも北の軍事・政治危機宣伝が行き過ぎると、本当に北のミサイルが日本に飛んでくるかもしれない。勿論アメリカにも。そうなると北は完全に崩壊する。もっとも迷惑するのは北の国民である。これは昔の日本と同じである。だから政治は難しい。いかに国民を幸せに出来るか?一国の政治家はそれを第一にしなければならない。自分たちの権力保持に汲々とするようでは、政治家、政治体制としては失格である。


そういう意味では、日本の政治もトロいようだが、専制国家よりははるかに安心である。まさか安倍が戦争を起こすわけはないだろうし、国民すべては平等である。その中での多少の不均衡はどうしても起こりうる。僕も貧乏だけれど、最低限年金で食っていける。そしてこの年になればそう多くのものを望まなくなる。車も美食も豪邸も過去に経験しているし?今は街や野を歩いているだけで楽しい。こういう状態では少なくともあと10年は生きられる。貧しくつつましく楽しい老後…。

製版ミス(PD-285)

今朝の夢は現役のデザイナーの頃と関連ある夢。僕は新聞全頁(15段)広告の原稿を目の前にしている。これを製版に回しフィルムとゲラ刷りにして新聞社に送る。でもどうもデザイナーが指定ミスをしているようだ。つまり新聞は印刷の精度が低いので、普通の印刷物のような指定では写真が潰れてしまう。アミメが200線ではなく、確か70線位だった。普段新聞広告をやっていないデザイナーがどうもそれを知らなかったらしい。

僕はその線指定と細部のミスを修正し指定し直す。もし15段でこのまま製版すれば、新聞の写真は真っ黒になる。でも実際僕は自分のイベント広告で、僕の部下が新聞広告で写真を真っ黒にした経験がある。彼も新聞のアミメを知らず、普通の印刷の製版をしてしまったのである。おかげでマッケンローもコナーズも真っ黒になった。これには新聞社も迷惑しただろう。新聞で写真が真っ黒で掲載されることは普通ない事故だ。

何でこんな夢を見せられるのか?もう過ぎ去った過去の事ではないか。今更夢の中で責められても戸惑うばかりだ。タマには成功や賞賛のいい夢を見せろヨ。でも夢に見るのはいつも失敗や不成功の不安な夢ばかり(でもないか?)どうも人生は失敗の積み重ねらしい。というか夢は自分の人生でヒャッとしたことを良く覚えていて、ある時それを夢で再現するらしい…。でも人間には、人生には失敗は付き物。でも半面、華やかな成功の事実もある。


だからたまには僕の成功事例や、華やかな賞賛の事例も夢に見せてくれッ!そうでなければ毎晩夢で疲れてしまう。その内きっと眠るのが恐ろしくなるだろう…。そういう意味では夢というのは、ヒョットすると自分のマイナーなあるいはダークな部分を照射するものなのか?でもタマァには明るく輝く夢も見せて欲しい。頼むよ本当に!でも僕は一体誰に頼んでいるんだろう…?

楽しい夢(PD−284)

今日の夢は久しぶりに楽しい夢だった。僕はAS新聞のデザイン室にいる。築地の高層ビルの最上階に近い部屋だ。そこには僕のデザインの師匠であり、僕がフリーをやっていた20代の頃、デザインやイラストを発注してくれたTMさんがいた。そして僕の先輩のFNさんもいた。彼はAS新聞北海道支社にいたが、TMさんが東京本社に呼んでくれた。

僕はそこでまたイラストの発注を受ける。そして僕は彼らの好意により、今後継続してデザインやイラストを受注する事になった。でもオイラは実際は70間際だぜッ!だからこれは夢の中の好意に過ぎないだろう。近頃はイラストは年に一回しか描かない。年賀状の時だけだ。でもその割にはスムーズに描ける。

そして僕はデザイン室の連中とスタンプ造りに熱中する。それは自分を表すスタンプで、芋版を立派にしたようなもんだ。そして皆でワイワイ楽しくやっている。でも夢の画面は暗かった。最近も僕はイラストを描く夢を見た。ヒョットして僕は又イラストを描くようになるのか?AS新聞で描いていた頃は、真鍋博辰巳四郎などの有名イラストレーター達も紙面を賑わしていた。

つまり僕は有利な立場にいた。でも飽きっぽい僕は20代でデザインやイラストを止め、企画営業に転じた。それはそれなりに面白い仕事が出来たが、僕のもう一つの才能は封殺された。それがこの頃頻繁に夢に見るようになった。やはりその内僕はまたペンを取らなければならないのだろうか?


実は僕はこの頃考えている。僕のシュールな画風を生かしたイラスト・ストーリーを自主的に制作・出版しようかと…。でも僕はもう70に近い。再びペンを取っても指がちゃんと動いてくれるのだろうか?だから近頃内心少し悩んでいる…。

夜郎自大(SD−80)

僕は砲身を整備していた。それは細長い一本の砲身であった。そして近づく艦影に砲弾を撃ち込む。それは数千トン位の駆逐艦か?真っ黒な砲煙が視界を遮る。敵艦は大爆発を起こしアッという間に沈没する。画面の艦艇は皆灰色である。

それは何だか物悲しい映像である。映像は無機的でしかもゴチャゴチャした構造物と機械だけだ。人影はない。戦争とは無機的なものかもしれない。この映像に何の意味があるのか?どこかで海戦でも勃発するのか?尖閣あたりで中国艦が自衛隊を攻撃するのか?そういえばこの頃は中国の艦艇が、自衛隊駆逐艦を徴発しているようだ。共産中国は嫌な国だ…。


でももし戦えば、装備の遅れた中国は戦いにならないだろう。多分中国軍は夜郎自大に陥っているんだろう。それで戦いたくてウズウズしている。戦争のキッカケなんて、以外と単純なところで発生する。自衛隊も気をつけなけりゃ〜。もし地域的紛争が起これば、それはアメリカを巻き込んだ大戦争になる可能性がある。でもその時ロシアはどうするんだろう?それにしても共産中国は嫌な国だ。