お見事! part2

侵入者

小林信彦さんの『袋小路の休日』*1講談社文芸文庫11/24条)を読んで以来、この連作と同じころかそれ以前に書かれた、小林さんのこの手の小説(いちおう純文学的と言っておこうか)が気になっている。そこで同書巻末の自筆年譜に目を通したところ、次の作品が芥川賞直木賞候補作になったことを知った。

  • 「衰亡記」(1964年、直木賞
  • 「丘の一族」(1975年、芥川賞
  • 「家の旗」(1976年、芥川賞
  • 「八月の視野」(1977年、芥川賞
  • 『唐獅子株式会社』(1978年、直木賞
  • 「みずすましの街」(同年、直木賞

文庫解説で坪内祐三さんは、「相い継いで芥川賞の候補作となっていった「丘の一族」や「家の旗」や「八月の視野」は、そのような「私小説」の様式をきちんと押えた上で書かれた傑作」(296頁)と評している。
その後わが書棚の“小林信彦文庫コーナー”から、何気なく一冊の本を抜き出し目次を見て驚いた。その本とは『家族漂流―東京・横浜二都物語*2(文春文庫)で、ここに「みずすましの街」「息をひそめて」「丘の一族」「家の旗」の4篇が収められていたからだ。上記のうち3篇が既所持の文庫本で読めるとは。
この本は以前、隣町の駅前にある新古本屋で見つけ、「とりあえず小林さんの短篇集だから買っておくか、帯も付いているし」という消極的な理由で求めたものだった。「家族漂流」というメインタイトルはまだしも、「東京・横浜二都物語」というサブタイトルでは読書欲が沸かない。買いっぱなしで書棚に突っこんだままだった。
そんな本だっただけに、これが一転、「読みたい本」の上位にジャンプアップしたので、たとえ消極的でも買っておいてよかったとひそかに喜んだのである。しかもその直後に例の「『監禁』100円入手事件」があったものだから(→11/27条)、ますます小林さんの旧作短篇を読もうという気持ちが高まっていたところだった。
そこにきて文春文庫に新しい短篇集が入ったのだからたまらない。『侵入者』*3がそれだ。本書には「侵入者」「雲をつかむ男」「尾行」「話題を変えよう」「悲しい色やねん」「みずすましの街」以上6篇の短篇、ショート・ショートが収められている。さらに「尾行」は四つの掌編から構成されている。発表年代は「雲をつかむ男」の1971年から、「尾行」の1997年まで幅広い。
よく知らないけれど、「悲しい色やねん」や「雲をつかむ男」は以前何かの作品集に収録されていたのかもしれない。むろん「みずすましの街」もまた、上に書いたように同じ文春文庫に収録されていたから再録となる。前のものは品切だからいいという判断なのだろう。いずれにしても、坪内さんが喜びそうな「文庫オリジナル」の短篇集ということになる。しかも巻末に「自作解題 創作の内幕」まで付いているからお得感がある。
このうちの表題作「侵入者」は、「知り合いの純文学専門の編集者が新しい会社(メタローグ)をおこすので、百枚の中篇を書いてくれないか」という依頼で書かれたもの。「依頼した編集者は、さっさと会社をやめ、やがて、この世を去ってしまいました」というから、その編集者とは安原顯さんなのだろう。
「自作解題」にあるように、この作品の着想のもととなるエピソードは、すでに『袋小路の休日』中の一篇「街」に使われている。小林さんはこのエピソードを、「古い〈純文学〉という枠ではなく、〈ワン・アイデアもの〉〈ツイスト一発もの〉――日本的にいえば〈一発どんでん返しもの〉として読者に提供したかった」とする。
いや実際読んでびっくりした。帯に「卓抜なアイデアと/周到なプロット!」とあるから、そういう小説なのだろうと心得て読んでいても、途中で「えっ、ちょっと待って!」と、一瞬狐につままれたような感覚に襲われる。重苦しくて気持ちがざらつくようなストーリーなのだけれど、くだんの「一発どんでん返し」を味わった瞬間、重苦しさがどこかに飛んでいってしまい、思わず居住まいを正して一気に読み終えてしまった。さすが小林信彦。お見事、まいりました。
視聴率不正操作事件を先取りしたかのような、視聴率獲得競争を強烈に皮肉った「雲をつかむ男」の人を喰ったようなギャグも楽しいが、やはり直木賞受賞作の「みずすましの街」に注目せざるをえない。
『袋小路の休日』の感想を書いたとき、私は小林さんの手法を私小説的題材を私小説的にではなく、手を変え品を変え変奏しながら作品を創りあげてきた」と捉えてみた。結局「侵入者」も「街」のエピソードに「どんでん返し」という味つけをした変奏にほかならず、「みずすましの街」のほうは両国での少年時代を変奏する。こちらは1978年に発表された作品だが、このころの作品がすでに東京に対する「街殺し」を呪うトーンに染められているのは驚きで、時代がようやく小林さんに追いついたということになるのだろうか。