江戸人から見た現代社会はどんなでしょうか。私は望太郎に現代の町を見せることにして一緒に家を出ました。やはり見ると聞くとでは大違い。望太郎は生き生きとした顔で現代社会を観察し始めました。
望太郎まちに出る
貧・望太郎(ビン・ボウタロウ)が江戸から届いてはや二週間が過ぎた。
わが家近くの一軒家を借りて住まわせ、インターネットを使って現代社会についての基礎的な教育を一応済ませた。
少し運動不足になったか、それとも現代の食べ物のカロリーが高すぎるのか、望太郎は幾分太ったようだ。
「望やん、運動がてら近くを見てまわろうか?」
私の誘いを待ってましたとばかりにボウタロウが応える。
「ノボさん、その言葉を待ってたんや!さっそく行こうよ、すぐ行こう!」
寛平ちゃんうり二つの細い目にしわを寄せ、さも嬉しそうな顔だ。私も少しうきうきしてくる。
なにせ、江戸時代の人間が三百年も未来のまちを見て回るのだ。もし本にするなら、そのジャンルは「SFノンフィクション」とでもいったらいいだろうか。
「ノボさん、わし、わらじも履いたし準備は出来たぜ」
もちろん、わらじではない。できるだけ違和感ないようにと買ってきた指またのついたサンダルのことだ。
ナンバ歩きをジロジロ
私も初めて知ったのだが、江戸時代の人たちは現代人と違う歩き方をしていたのだった。
同じ側の手と足を一緒の方向に動かして歩くのだ。ほとんど腰をひねらずに。これは確か「ナンバ歩き」というやつだな、と思い出した。
古武術の体の使い方を介護の仕方に取り入れた「甲野善紀(こうのよしのり)」さんが紹介していた歩き方だ。
「ノボさん、なんでみんなわしのこと、じろじろ見るのかな?ちょんまげ切ったし、着物だって現代の洋服ってもん着てるのにな」
「それは、おまえさんの歩き方が今と違うからだと思うよ。でも見れば見るほど自然な歩き方に見えてくるな〜」
車にびっくりする
「ノボさん!!なんじゃこりゃ!この時代、たったひとりで鎧の戦車に乗って動くのが当たり前なのかい。実際に見るとおっかね〜よ!」
あわてて道路のはじによけたボウタロウ、とてもビックリ仰天した顔がまだ続いている。
「どっか戦いにでも行くのか?それともえらく遠い荒野へでも行くのか?それとも荷物がいっぱいあるのかな?」
私は無言のまま。(まさか、近所にタバコ買いに行くのも車だなんてとても言えないよ)
どこに行くのも車で、しかも家の前まで車とは。考えてみれば「行き過ぎ」ではないかと私も感じた。
福祉施設の前で立ち止まる
私の家の前には老人福祉施設がある。それを見たボウタロウ、首をかしげながらしばし立ち止まった。
「この世界じゃ、年寄りはこんな所へ集められるのか。家で面倒見るってのはもうね〜のかい?」
「現代じゃ、ほとんどの人が会社勤めさ。ボウタロウの時代なら『雇われ人足』っていうのかな、それでみんな日中は家にいないんだよ。女房たちも同じさ」
「それと『核家族』っていうのが当たり前なんだ。私のところだって、私たち夫婦、私の老父、長女家族、次女、みんなそれぞれ家を持ったり借りたりしてバラバラに住んでるんだ」
ボウタロウは「ふ〜ん」と言いながら、ジーッと施設を眺めていた。
「ま〜、今の世がどうなっているか、おれにはよくわかんね〜けど、この時代ってのはずいぶん贅沢っていうか、人情が薄いっていうか・・・」
「あ、そうそう、この前の続きな、『現代の長屋』ってやつを一緒に考えてやりて〜と思ってるんだが。どうでえ?」
ボウタロウは腕を上げて大きく伸びをした。それからゆっくり左右を見渡した。まだ少しは残っている自然の匂いを嗅ぐようにして。
大江戸ハイブリッドタウン
日向子さんが彼を現代に送ってよこしたのにはきっと大事な意味があるに違いない。
ボウタロウはそんな私の心を察したのか、江戸でのことを語り始めた。
「ワシはけっこう変わりもんでな。皆から『チンプンカンタロウ』って言われていたもんだ。あれこれ突飛なことを考えたりやったりするからな」
「誰に聞いたか知らね〜が、ある日、日向子さんがワシを長屋に訪ねてきたのさ。『お知恵拝借できる?』って、色気のある上目使いでな」
話しながら歩くボウタロウの足は速い。私は足が悪いので自転車を引っ張りながらお付き合いしていたのだが、今はもう自転車に乗ってお伴している。
「日向子さんはどんな知恵を借りに来たのかな?」
「うん、それがな。江戸時代と日向子さんの時代の良いところを併せた長屋というか、町を考えてくださいということだったんだ」
「ま〜、未来に行くなんてワシみたいな奴にしか理解できなかったろうな・・・ワシだって聞いたときはまさか?と思ったよ」
私はこう見えてけっこう新しもの好きな人間だ。さっそくその新しい町とやらに名前を付けた。「大江戸ハイブリッドタウン」と。
望太郎自動車に乗る
私は望太郎を自動車に乗せて、近隣のちょっとした都会を見せることにした。
ボウタロウはおおはしゃぎだ。「ノボさん。これってわしらの時代なら馬だぜ。身分が高いお侍くらいしか乗りまわさなかったけどな。この時代じゃみんなお侍みてえ〜なもんだな。家だってちょっとしたお城とかお屋敷みたいだしな」
ときどき「たまんね〜」と喜んで、車の窓から顔を出し、風を味わいながら奇声をあげる。
やがて市中に入った。そこはシャッター通り。
「なんだ、ここは!みんな鎧戸をおろしてやがる。どっか攻めてくるんか? なんかサビれた感じもするな」
五階建てのアパートも見せた。
「まるで鳩小屋みて〜だな。いったいどれくらいの家賃で借りてるんだ」
私が「そうだね〜、ひと月六万円とか七万円ぐらいかな〜。一人暮らしで長屋くらいの広さでね」
「え〜、それって日当何日分だい?」
「たぶん一週間分くらいかな」と答えたらビックリした。
「江戸の長屋ってのはせいぜい日当一日分くらいだぜ。それすら払えね〜連中は一緒に住んでるよ。これじゃ生きていくのがたいへんじゃね〜か」
彼は話を続けた。「少なくても、寝るところと最低の食い物、米、ミソ、野菜くらいはだれでもいつでもありつけるってのがまず最初じゃね〜のか。それと近所付き合いがあれば、誰でも何とか生きていけるんだけど・・・この時代、住むのが高過ぎね〜か?安く貸せる空き家ってもんはないのかい」
私もなんかいろいろ見えてきた。この後ボウタロウと話した「大江戸ハイブリッドタウン」構想を語るには紙面が足りないようだ。
そろそろボウタロウも疲れてきたようだ。排ガスの臭いや、いろんなところから聞こえるらしい低周波音が彼の神経に変調をもたらすようだ。
今日は早く帰ることにしょう。