Hatena::ブログ(Diary)

自分の手で紡ぐ未来

2017-03-17

ガンディーの遺言(英語版)

 新刊『ガンディーの遺言』の英語版をupしました。
 ガンディー全集から編集した翻訳のもとになった原稿です。
https://gandhi-spinning.jimdo.com/in-english/gandhi-s-last-words/
  
Gandhi's last words for building self-sufficient villages   
written by M.K. Gandhi
compiled by Kayoko Katayama
 

2017-02-25

2月の予定

講演・ワークショップのお知らせ リンク先から予約してください。

2月15日(水) ガンジーに学ぶ自給の暮らし  岡山県井原市
      10時〜12時 場所 jamur 岡山県井原市西方町1461
     参加費  1000円  

2月19日(日)大阪 チャルカで、糸紡ぎ☆〜ガンジーからの伝言
     10時〜13時〜 コープ泉中央店  参加費2000円

2017-02-08

「いじめ模擬裁判」vs『裁くなかれ』   『知ってほしい…。“いじめ後遺症”』(NHKあさイチ)を見て

いじめ模擬裁判というのがあるそうです。
『知ってほしい…。“いじめ後遺症”』(NHKあさイチ2月6日の放送)で紹介されていました。
http://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/170206/1.html

イベントで横浜に出かけていた滞在先のホテルで、私はこの番組を見ました。考えさせられる番組でした。「知ってほしい・・・」というタイトルにもある通り、知らなければならない、そういう内容でした。
ただ、番組の最後の方で出てきた「いじめ模擬裁判」は副作用の方が大きいのではないかと、感じました。求刑、つまり刑を求めることまでやっているために、報復を容認することにつながりそうで、危うい感じがしました。

聖書に次の言葉があります。
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」
  (聖書 マタイによる福音書/ 7章 1〜2節)

 “いじめ後遺症”を克服するために、自分にいじめの原因があるのではない、自分が悪いわけではないと知るのは、大切なことです。しかし、それでもやはり加害者を裁くというのは、行き過ぎだと思うのです。被害者にあるのは、謝罪を求める権利だけです。裁いたり、報復する権利は誰にもないと思います。
 報復したいという感情を手放さなければ、暴力の連鎖につながってしまいます。受けた暴力は、手放さないと、出口を求めてしまうのです。それが自分自身に向かうと、心の病、不登校、引きこもりにつながりますし、他者に向かうと報復であったり、もっと弱い者へのいじめとなっていきます。たとえば、親から虐待された子が、学校で弱い子をいじめいじめられた子が犬や猫をいじめたり、もっと幼い幼児を虐待したりという暴力の連鎖が生じるのです。だから、加害者も被害者だという視点が必要になってきます。
 その視点を踏まえたうえで、暴力や報復は、絶対に間違っていると、子どもたちに教えていきたいものですし、大人たちも、学ぶ必要があります。

「裁くなかれ」です。
 このようなことを書けば、だから、聖書や、非暴力は生ぬるいと批判する人もいるでしょう。しかし、「裁かない」というのは、ご都合主義でも、臆病な逃げでもありません。
 謝罪を要求する権利は放棄していません。「謝って欲しい」と堂々と要求するのですから、逃げているわけではありません。
 謝ってもらうことができれば、そのことが“いじめ後遺症”を克服する大きな助けとなるはずです。そして、被害者が加害者を許すことができれば、和解できれば、これほどすばらしいことはありません。昔の加害者と顔を会わせたくないからと、びくびくと暮らしていた被害者も、積極的に町に出かけられるようになるはずです。
 しかし、加害者が今どこにいるかもわからず、もはや謝罪を要求することもできない場合もあるでしょうし、謝罪を要求しても謝ってくれなかったり、かえって辛い思いをしてしまうこともあるかもしれません。
 その場合には、どうしたらよいでしょうか? 私に安直なアドバイスをする資格などないことを承知した上で、あえて書かせていただくなら、まずは、この番組でも紹介されていたように、「自分は悪くない」ということを、しっかり自分に言い聞かせて自分に自信を持つことだと思います。その上で、謝罪してもらえないくても相手を許す努力ができれば素敵です。そして、許そうとする自分を、大いに褒めたらよいと思うのです。
 ガンディーの非暴力の取り組みも、まさに加害者を許す実践でした。そして、不当な弾圧によって植民地支配をする英国よりも、道徳的に優るインドを示すことで、独立を勝ち取っていったのです。
 許すということは、勇気がないとできないことです。許すことができるのは、本当に強い人だけです。“いじめ後遺症”で苦しんでいる人に対しては、酷な要求かもしれません。それでも私は、苦しんでいる一人一人に、天からの力が与えられて、許す強さを培うことができますようにと、日々、祈っていたいのです。私は祈ります。

加害者の問題
 また、過去の加害行為に苦しい思いをしている加害者のことも、番組では紹介されていました。被害者がどこにいるかわかっているのであれば、是非、謝罪をすることだと思います。謝罪から逃げている限り、苦しみは終わらないでしょう。被害者がどこにいるかわからない場合は、自分の罪を認めて悔い改め、二度と加害者にならないと決意することがまず第一歩だと思います。そして、今自分の周囲にいる隣人に可能な限り愛の手をさしのべていくことが、せめてもの償いではないかと思います。そういう生き方をしていけば、苦しみから解放されるときが必ず来ると、私は信じています。
 私はいじめの加害者ではないと、自分では思っていますが、人を傷つけてしまったことはあります。気づかずに傷つけてしまったことも、きっとあるはずです。だから、どうか私の罪を許してくださいと祈るしかない私です。
 人は皆不完全です。一人一人が許されないといけない存在だと知ることが必要です。謝罪できる人には謝罪し、それが不可能なら、ごめんなさいと心の中で祈り、そして、その分、今、目の前にいる人にできる親切をしていくことで、せめてもの償いをしていく。そういう生き方を取り入れたいと思います。気づいた人から始めるだけで、世の中、その分だけきっと明るくなることでしょう。

「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」
   (聖書 マタイによる福音書/ 7章 12節)

2017-01-31

ガンディーの命日に寄せて

昨日(1月30日)はガンディーの命日でした。
 ガンディーが今生きていれば、私たちにどのようなメッセージを語るでしょうか?そのようなことを考えながら、昨年以来、私は『ガンディーの遺言』という本を出版しようと準備してきました。ただ今、印刷中で、2月20日頃に完成予定です。
 この本は、晩年、主として1940年代にガンディーが書いた記事をガンディー全集より抜粋して、編集したものです。
 「経済的平等を実現するには、私が述べてきたやり方しかありません。わたしの言葉を心に留めておいてください。私が死んだときに思い出してください」(P76より)と語られる言葉は、私たちの向うべき方向を案内してくれています。
 格差が広がる社会の中で、私たちは自分が生き残ることに精一杯で、弱者を思いやる余裕をなくしがちです。だからこそ、平等を実現する非暴力の方法をガンディーから学ぶ必要があります。その方法とは、自らの労働によって必需品を得ることと、「受託者制度(trusteeship)」に代表される富に執着しない生き方です。ガンディーが思い描いた社会を目指して歩んでいく私たちでありたいものです。
 

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