プラネテスについて思うこと

『プラネテス』のポリティカ その2 - 猿虎日記(さるとらにっき)
プラネテスについて考察した記事。
いろいろな見方をする人がいるものだなぁと思いつつ、自分の見方もちょっと記しておこうかな、という気になったので、以下に自分なりのプラネテス論を書き綴ってみる。

宇宙防衛戦線の位置づけとプラネテスの世界の背景

物語中に登場するテロ組織「宇宙防衛戦線」の存在は、核融合を実現し宇宙資源の利用が進んだ未来の世界でも、人類の苦しみ(貧困やテロや戦争)は現在と何も変わってない事を暗に示している。そういう意味で、物語の重要な背景になっている。単に悪役のステレオタイプとして登場しているのとは違うように思う。

プラネテスという物語の背景として、核融合技術の実用化がある。プラネテスの世界では核融合による発電や核融合エンジンが実用化されて、利用されている。そしてその燃料としての重水素やヘリウム3、またその他レアメタルなどの宇宙資源の重要性が増している世界だ。ヘリウム3やレアメタル採取のために月面が既に開発されているし、「そのまんま重水素とヘリウムの貯蔵庫」である木星を開発することで人類に無限のエネルギーを約束する計画が進められている。つまり「いまさら宇宙資源無しで世の中回るわけない」世界なのだ。

で、このことが宇宙防衛戦線の活動の背景にある。戦線のリーダーであるハキムの出身国が貧困と内戦に苦しむのは、核融合や宇宙開発によって生じた新たな利権を手にできなかったから、と考えられる。ようするに、技術が進歩してみんなが幸せになるはずなのに、相変わらず貧困はなくならず内戦に苦しむ国が存在している。そしてその原因はたぶん新たな利権を一部の人々が独占しているために、貧困な国に利益が回らないからだ、ということだろう。「有限なエネルギーの上に文明を築き破壊しつつ拡がってゆく我々の性質になんら変わりはない」という言葉の裏には、どれだけ進歩したところで結局世界は何も変わらないじゃないか、という思いがある。だから宇宙における人類の構築物を全て破壊し、ケスラーシンドロームを起こして人類を宇宙へ出られなくすることで、宇宙利権そのものを消し去ろうとしている。

そういうわけで、「宇宙解放戦線」は単なる悪者ではなくて、技術が進歩しても人類の苦しみはなんら変わってない、ということの象徴なんじゃなかろうか。
で、苦しみが何も変わってないというところがプラネテスの根底にあって、「人類が宇宙に出る理由」とも関連してる、と思う。


ロックスミス

ロックスミスの人物像は、最終話での台詞「真理の探究は科学者が自らに課した使命です」「「本当の神」はこの広い宇宙のどこかに隠れ我々の苦しみを傍観している。いつまでもそれを許しておけるほど、私は寛容な人間ではない」「神が愛だと言うのなら、我々は神になるべきだ。さもなくば…我々人間はこれから先も永久に、真の愛を知らないままだ」「気安く愛を口にするんじゃねぇ」によく現れていると思うので、そのへん中心に考えてみる。


上の台詞から察するに、ロックスミスは科学者である自分の使命を、人類を苦しみから解放することと考えている。ここでいう苦しみとは、宇宙開発そのものであり、また貧困やテロ、戦争のなくならない世界のことでもある。
最終話での会話で、「宇宙開発は神に挑戦した人類に与えられた罰であり罪そのものだ」と言われている。宇宙開発を進める過程では、事故で多くの人が犠牲になったりするし、そもそも宇宙へ出る事自体がいつ死んでもおかしくない危険な行為だ。でも「いまさら宇宙資源無しで回るわけない」世の中になってしまっている以上、宇宙開発を止めることはできない。しかも、宇宙開発を進めたにもかかわらず相変わらず貧困もテロも戦争もなくならない。きつい思いをして宇宙へ出てるって言うのに、世の中全然よくなってない。でももういまさら止まれない。これほど苦しいことはない。
こういう苦しみを「本当の神」は傍観してる。だから神に祈ることは無意味。だから、ロックスミスは宇宙開発をさらに進めることでそれに抵抗しようとしてる。それが「我々は神になるべきだ」という言葉につながる。


で、人類が宇宙へ出る理由もそこらへんにある。苦しみを伴う行為だけれども、宇宙開発無しには人類は立ち行かない状況になっている。よくよく考えればこの苦しみは宇宙開発が始まるもっとずっと前から人類に課せられている。進歩を続けないと人間社会は立ち行かなくなってしまうようにできている*1。人類はずっと苦しみ続けている。で、次の進歩として、宇宙へ出ることが必要になっている。宇宙へ出てもっと遠くへ、資源を求めて苦難の旅をしなければいけなくなっている。
その苦難に最前線で挑んでいるのがロックスミス、というわけだ。


ロックスミスの「さもなくば我々人間はこの先も永久に真の愛を知らないままだ」という台詞から、人間が神になって苦しみを終わらせることができれば真の愛を知ることもできるのだ、と読み取れる。
「真の愛」というのは「大きなものの見方」とか「宇宙に俺に関係ない人間なんていないんだ」とか「空と宇宙の境目はない」とか「自分勝手に死ねない身」とかタナベの言動とかそういうもので語られている。人と人との隔たりがなく、全ての人がつながっている世界、みたいな感じ。それはハチマキのように個人レベルでは達成できても、人類全体ではぜんぜん達成できてない。貧困やテロや戦争の絶えない世界ではなおさら難しい。
で、木星開発で無限のエネルギーを手にすることができれば、少なくともエネルギーに関しては問題が解決する。エネルギーが無限にあるなら、貧困の解消も進む可能性がある。その先には人類が真の愛を知る日が来る、とロックスミスは考えているからこそ、「我々は神になるべきだ」という言葉につながるんじゃなかろうか。たぶん科学者ゆえにそういう考えに至っているんだろう。


が、その道のりは困難で、多くの犠牲が無ければ成し遂げられない。関わる人間には自己犠牲の精神が求められる。そして自己犠牲の裏には、遺された人々の苦しみがある。そういう意味でも宇宙開発には苦しみが伴っている。宇宙開発を進めるために犠牲になったヤマガタのエピソードは、そういうことも語っている。
宇宙開発=真の愛のために犠牲になったヤマガタも、妹に大きな悲しみを与えているという点で真の愛を知っていたとは言えない。それだけ真の愛を知ることが難しいことだとロックスミスは理解している。真の愛を知ることの実現のために、幸せでない人が生まれているという矛盾をはらんでいる。だからこそ、ヤマガタの妹の行動に悲しみを感じる。


で、「気安く愛を口にするんじゃねぇ」という台詞。この台詞がロックスミスの人物像を知る上でもっとも重要だと思う。
この台詞の裏には、ハチマキの「愛し合うことだけはやめられない」という言葉に対して、自分だけ真の愛を知ったからといってなんなのだ?人類が真の愛を知るための道のりがどれだけ困難か知っているのか?という感情がきっとある。ロックスミスにとっての「愛」は非常に重く難しいことだ。ロックスミスにとっての愛とは人類全体に対するもので、多くの犠牲をはらい遺されたものの悲しみを生み出す苦しみを味わい、それでもまだ得られないものだから。


結局ロックスミスとは、宇宙を切り拓くためのエネルギーとしての悪魔のようなワガママさを備えているが、その裏では真の愛を求め、その困難さを誰よりも良く知っている、という人物として描かれている。だからカッコよく描かれてるんじゃなかろうか。



という感じで、ロックスミス中心に自分なりのプラネテス論を書き綴ってみた。プラネテス好きなんでだいぶ美化してるかもしれないけど。でもなんかまとまってないような、書き足りないような気分なので、そのうち続きを書くかも。

続き書いた。



*1:人類が農耕を始めたときからはじまった、農耕が人類の原罪だ、と、なんかの本で読んだ