死んだふり解散

86年前半は、この年に行われる参院選に合わせて衆院の総選挙が同日選となるかどうかが政界の最大関心事であった。安定多数に戻したい中曽根首相は、総選挙で勝てば86年10月末日で切れる自民党総裁としての任期を延ばせると読んだのである。総裁任期は二年二期まで、三選禁止と決まっていたが、直前に国民の信任を得た首相を辞めさせるわけにはいかないだろうからであった。

しかし85年7月17日、最高裁は83年総選挙で一票の価値が最大で3倍以上に開いているのは憲法に違反しており、本来83年選挙は無効にすべきものであったと判決していた。86年5月8日坂田道太衆院議長は8増7減による是正と、公布から30日間の周知期間を置くとする調停案を示し、与野党はこれをのんで5月22日の国会最終日に成立させた。その30日間は中曽根の衆院解散権が縛られる形となった。

マスコミもこれで衆参同日選挙は事実上封じられたと報じ、藤波孝生国体委員長も「同日選挙がダメになって首相は打ちひしがれている」と述べるなど歩調を合わせたがこれは味方も欺く幻惑作戦だった。

実は同日選に意欲を示す中曽根、後藤田官房長官らは自治省選挙局と綿密に日程を検討した結果、参院選投票日を改選議員の任期満了となる7月7日の一日前の6日に設定し、衆院を6月1日から5日までの間に解散すれば、周知期間もクリアして同日選は可能との結論を得ていたのである。

選挙の前、5月1日民社党横手文雄議員が200万円の受託収賄容疑、元国土庁長官稲村左近四郎(中曽根派)が500万円の収賄容疑で在宅起訴された。撚糸工連の共同廃棄事業に絡んで、横手は82年8月6日工連側に有利になるような質問を頼まれて行い報酬を得た疑い、稲村は工連側にとっていい答弁をするよう通産省幹部に迫ったという疑いであった。

中曽根は6月2日に臨時国会を召集し即日衆院を解散した。世にいう死んだふり解散である。7月6日に投票が行われ、撚糸工連疑獄事件があったにもかかわらず、中曽根の思惑通り自民党衆院で300議席参院で72議席を獲得して圧勝する。

中曽根の狙い通り、総選挙の大勝によって自民党総裁としての任期延長に成功した。各派閥から強い異論は出ず、9月11日の両院議員総会で党則を改正し任期を87年10月30日まで1年延長することが決まり、5年の長期政権を達成することになった。


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