十一月歌舞伎座・昼の部

kenboutei2007-11-18

歌舞伎座昼の部。何とも低調、空疎な顔見世であった。
『種蒔三番叟』梅玉の三番叟、孝太郎の千歳。前半は、写楽描く仲蔵と菊之丞の万才の絵を思い出させ、なかなか良いと思ったが、後半はつまらない。特に孝太郎の素襖を外してからの踊りは、ひどかった。
いつもながら、梅玉の使われ方は気の毒という他ない。
『吃又』吉右衛門の又平、芝雀のおとく、歌六の将監、吉之丞の北の方、錦之助の修理之助。昼の部では一番安定。
吉右衛門、個人的には、前回の時の方が良かった。手水鉢に自画像を描く時の、筆を持っての見得は、きっぱりとした見得ではなく、気合の入れた一声をあげていた。前回同様、吉右衛門の又平は、自画像を描く時に、他の役者の又平にはない気迫があるのだが、今回は、その前段の(土佐の名字をもらえないことの)絶望が深過ぎて、そこから筆をとった時の情熱とのギャップがあり過ぎると思った。
芝雀のおとくが、終始又平のことを思って立ち回る、良い女房を演じていた。過度にでしゃばらず、丁寧な芝居をしており、この一座の中で、唯一、溜飲の下がる出来栄えであったと思う。
歌六、吉之丞も手堅く、錦之助の修理之助に品があった。
『素襖落』幸四郎左團次弥十郎魁春らが出ていたようだ。
『御所五郎蔵』仁左衛門の五郎蔵、左團次の土右衛門、菊五郎の甲屋与五郎、福助の皐月。
どこにも面白さを感じなかった。この一幕だけに両花道とするのも、もったいない。(夜の部でも使うのかは知らないが。) 筋書の上演記録によると、最近の土右衛門は、浅草を除いて殆ど左團次ばかりだが、こういう単調な配役も、食傷感をもたらす一因ではないのか。
 
それにしても、この座組ならもっと工夫があってもよいはずなのに、やっつけ仕事のような演目と配役。これで本当に顔見世と言えるのだろうか。
 
・・・『吃又』を観ている時、隣のブロックから、「うーん、うーん」と唸り声。見ると、かなり高齢のじいさんが、入れ歯が合わないらしく、何度も入れては出し、入れては出しを繰り返し、唸り声は、その時に漏れる声であった。隣のばあさん(たぶん奥さん)が、一生懸命介添えをしているのだが、結局最後まで入れ歯はちゃんと納まらなかった。途中、「そんなことは洗面所でやってくれ!」と怒りが込み上げたが、何度やってもうまくいかずに唸っている夫と、その入れ歯(パーツがいくつもあるのだ!)の出し入れを手伝っている妻の姿が、又平・おとく夫婦に重なって見えてきて、最後は少しせつなくなった。(この後、そのじいさんは、『素襖落』の最中、今度は入れ歯と関係なく呻きだし、車椅子に乗せられ途中退場した。ばあさんの方も一緒に退場で、何だかお気の毒であった。)