初春歌舞伎座・昼の部

kenboutei2008-01-05

5演目とてんこ盛り、大サービスといいたいところだが、実際は何のポリシーもない、ただの狂言の詰め込みに過ぎない。夜の部もそうだが、松竹にはもっと真面目に演目を選んで欲しいところだ。(役者行政があるにしても。)
『猩々』梅玉染五郎前に観た、勘太郎・七之助コンビのキビキビとした動作が印象的だったのだが、梅玉染五郎コンビも、お互いの動きはそれほど合っていないが、それが気にならない程度の、大人の舞踊になっていたように思う。それにしても、染五郎は、昼も夜もヤクの毛の鬘をつけられるとは、ご苦労なことである。松江の酒売りが、きっちりと踊り込んでおり、良い形をしていた。
『一條大蔵譚』昼夜通じて一番面白かった。それほど好きな狂言ではなかったのだが、今日は、吉右衛門はじめ梅玉魁春福助段四郎、吉之丞それぞれがしっかりした芝居をしており、また、竹本も充実(特に「奥殿」の葵太夫・宏太郎)、はじめてこの芝居を楽しめた。
吉右衛門は、作り阿呆が決して下品にならず、この人にしては珍しいほど愛嬌溢れるものでもあり、これまで観てきたどの大蔵卿より良かった。前に観た吉右衛門自身のよりも今日の方が優れている。特に、「奥殿」で本性を顕した時の顔の立派さ、扇を自在に駆使して、作り阿呆と行き来する芸の見事さ。ぶっ返っての形の良さ。どの場面も、吉右衛門の今の充実を納得させるものであった。
福助常磐御前も、非常に良い。余計な事をしない、ということがまず一番良かったのだが、何と言っても、十二単(かな?)姿の堂々とした美しさが、福助ならでは。また、梅玉の鬼次郎に打擲された後に、本心を打ち明けるところで、檜扇をかざしながら、顔の方に持って行く動作が、一瞬スローモーションを観ているような感覚となり、実に幻惑されるものであった。最近の福助の中では、文句なく一番良かった。
そして、梅玉の鬼次郎、魁春のお京の夫婦が、手堅い演技で舞台を締めた。「檜垣」での会話でこの物語の世界に観客を引き込み(吉三郎の茶屋亭主もうまかった)、「奥殿」でも行儀の良い芝居で、吉右衛門福助を引き立てている。
段四郎の勘解由、吉之丞の鳴瀬も安定しており、自分の目からは、ケチのつけようのない、納得できる一幕であった。
『女五右衛門』雀右衛門。テレビ放映で知ってはいたが、台詞が入っていないのはともかく、プロンプが今その場で言ったことも、復唱できないのを見せられるのは、極めて辛い。
「山門」は、身体の自由がきかなくなった高齢の役者が、動かなくても済む演し物として、選ばれる場合があるが、雀右衛門についても、そういう趣旨であったのだと思う。しかし、雀右衛門の場合、身体は動く(ように思えた)が、台詞が覚束ない状況であるとするなら、果たしてこの演目が正しい選択であったのかどうか、甚だ疑問を感じた。(半畳分の空間でしか動かなくても、踊りの方が良かったと思う。)
台詞を除くと、立派な女五右衛門で、若々しさも健在ではあった。とにかく雀右衛門が気になって、吉右衛門の久吉の印象は殆どない。
『魚屋宗五郎』幸四郎ほんの3年前に出した芝居をあまり代わり映えのしない座組で見せられてもなあ。(幸四郎は、こういうケースが多いような気がする。夜の部の『連獅子』然り。)
途中から猛烈な睡魔に襲われ(昨晩、仕事始めで結構飲んでしまった。)、半分眠りながら観ていた。が、印象は3年前と変わらない。むしろ、もっとつまらなくなったような気がする。(何しろ寝てたんで断定はできないが。)
錦吾の父親が、案外手強くて良かった程度かな。
『お祭り』團十郎。追い出しにはぴったり。ひょっとこやお多福の面を被っての踊りは、柔らかさや滑稽味が不足しており、全く物足りないが、肌脱ぎになって刺青を見せての決まりなどは、実に絵になる。そこが團十郎ということか。