539年 10.?〔参考〕『日本書紀』によれば、広庭王は、はじめ自らを若年(当時31歳)で未熟だとして、春日山田王に代わりに大王になってもらおうとしたという。 〔参考〕『元興寺伽藍縁起』の引用する「丈六光銘」には、名は「広庭」とある。 ※この逸話から、31歳は大王として政務を行ううえで未熟と考えられていた節がある。また、熟年の前々天皇のキサキは、政務を行うに十分な資質があると見られていたことが理解できる(義江明子『推古天皇』) 539年 12.5 広庭王は天皇として即位した(欽明天皇)。(『日本書紀』) 〔異伝〕『上宮聖徳法王帝説』は、欽明天皇の即位を531年とする。 ※このことから、当時の王…