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エズラ・パウンド

(読書)
えずらぱうんど

エズラ・パウンド Ezra Pound (1885年-1972年)

詩人。アイダホ州に生まれる。4歳のとき、合衆国造幣局の役員だった父親につれられ、東部のフェラデルフィアに移る。ハミルトン大学とペンシルバニア大学でロマンス語文学を専攻、比較文学や中世文学に興味を持つ。米国内で文学活動を開始し、知人の大学教授の娘と婚約/婚約解消や、教職を4ヶ月で放棄したりした後、ヨーロッパに渡る

ベニスで処女詩集[A Lume Spento](消えた光)を自費出版。ロンドンに移って[Persone](仮面)、[Exulation](歓喜)を発表し、新進詩人として認められる。20歳年長のイェイツとも意気投合し、サセックス州にあるイェイツのコテージで私設秘書として生活を共にする。また、東洋美術研究家フェノロサ未亡人が、夫の研究した漢詩や能の翻訳出版を求めてきたので、陶淵明らの作品を集め、「翻訳」した[Cathay](中国)や[Noh or accomplishment](能または達成)などを出版、T.Sエリオットらから絶賛される。

また、新進詩人としてフランス象徴詩に触発され「イマジズム」運動にかかわり、その過程でエリオットやジョイスなどと交遊し、多くの影響を与えあう。この頃の作品には自伝的要素の強い[Hugh Selwyn Mauberley]がある。

その後パリに移り、ジャン・コクトーらの詩人やストラヴィンスキー、モーリス・ラヴェルら新しい世代の芸術家と交わり、さらには「失われた世代」の中心となり、ヘミングウェイらに与えた影響も大きい。

1941−1943年にムッソリーニ政権下のローマ放送で、アメリカ憲法の擁護を母国に向かって訴え、それが原因でパルチザンに拘束され、さらにアメリカ軍に身柄引渡しをうけた上で、ピーサの陸軍キャンプに収容される。その時書いた「ピーサ詩篇」は、ボーリンゲン賞を受賞するが、あいかわらず「国家反逆罪」に問われ、ワシントンの精神病院に14年も監禁されていた。その間に体力、気力ともに消耗し、解放の後はイタリアに戻り、少しの作品を残して亡くなった。遺骸は、詩人がもっとも愛したヴェネツィアにある「墓の島」、サン・ミケーレ島に、ゴンドラで運ばれた。

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