クロネッカー

レオポルト・クロネッカー(1823-1891)はドイツ数学者

数論、解析、代数など多くの分野で業績をあげた。「クロネッカーの青春の夢」の名で知られる彼の予想は多くの数学者を惹きつけ、類体論虚数乗法論の源流にもなった。

また「クロネッカーデルタ」「クロネッカー積」等の用語にも名を残しているが、おそらく数学的業績よりも「数は神が作った、他は全て人が作ったものである」という言葉や、構成的な数学観を主張しカントールを「攻撃した」人物として有名。

しばしば勘違いされるが、クロネッカーの方がカントールより先に亡くなっている(クロネッカー1891年没、カントール1918年没)。クロネッカーの没年となる1891年、ドイツ数学会の創立者の一人だったカントールは総会での演演をクロネッカーに依頼し、クロネッカーも講演内容を説明する手紙をカントールに返している(アイゼンシュタインの楕円関数論について述べる予定だったが妻が亡くなったためキャンセルされた。[ヴェイユ 1974]を参照)。

整数論への貢献

代数整数論についてデデキントと並んで大きな貢献をしたが、これについてブルバキ『数学史』は「ニュートンライプニッツの競争の物語りを想起せずにはおかない(ただし幸い、とげとげしい様相はない)」と述べている。ただしその姿勢は対照的で、しばしば対比して語られる。

デデキント論文は極めて論理的で理解し易い。クロネッカー論文は、直観的でその表現は分かりにくい。(河田敬義 『19世紀の数学 整数論』)

クロネッカーは、デデキントに比べれば、たしかに明晰さにおいて遅れをとる。しかし、ヒルベルトがそこから出発して彼の類体論の構想へと進んだことは明らかである。しかもまた、ヴェーバーも高木も、先ず「クロネッカーの青春の夢」に惹付けられたのであった。(三宅克哉「類体論の源流」(pdf))

Kroneckerは彼の整数論の中で、その"有限性"を貫いている。彼はイデヤルの様な無限集合を、本来の対象と認めることは出来なかったに相違ない。一方、Dedekindにとっては、無限集合は最初から実体として扱われていた。彼は寧ろ方法の純粋性に関心があったのであろう。この様な感覚は現在では共に過去のものとなっている。(谷山豊「Weylと整数論」)

クロネッカーは≪数学夢≫の宇宙を「直観」的に継承し発展させようとし、デデキントは≪数学夢≫を「醒めた夢」へと転化すべく「理性」的なアプローチを続けていたという感じがする。[中略]そのことはクロネッカーが構成可能性にこだわり、超越的存在性を拒否したことと、かれが「アーベル方程式」、したがって、アーベル拡大の構成問題(≪青春の夢≫など)を重視したこと。そして、もう一方のデデキントが、「代数的・抽象的」思考にこだわり≪夢≫の明晰化を重視したことをみればわかる。クロネッカーアーベル的≪夢≫を支持し、デデキントガロア的≪夢≫を支持したことは当然のなりゆきでもあった。(山下純一『ガロアへのレクイエム』)

生前デデキントクロネッカーの間には学問的にも個人的にもある種のライバル意識があったようだ。それが彼らの支持者の争いを生み、デデキントパルチザンたちが「代数の純粋性」の旗の元で戦い、領土を勝ち取り、敵対者を撲滅するか改宗させたように見える。そのため今ではクロネッカーの遠大なアイデアと実り多い結果の多くは、感銘的だがほとんど開かれることのない彼の全集に埋もれている。(アンドレ・ヴェイユ「数論と代数幾何学」(pdf))

ヘルマン・ワイルは、クロネッカーデデキント手法を対比させている。クロネッカーデデキントよりもずっと野心的な目標をもっていた。すなわち、代数整数論代数幾何学の両方を包含するであろう一般論を目指していたのである。しかしながら、クロネッカー論文は大変難解なため、彼の仕事はデデキントのものほど強い影響力をもたなかった。20世紀も半ばになってようやく、A.ヴェイユの影響のおかげで、クロネッカーの大きな目標は現代の研究に重要な影響を与えたのである。(ジェイ・R.ゴールドマン『数学の女王』)

数学者としての評価

クロネッカーに対する評価は、評者によってかなり違いがある。

クロネッカーのまったく特異な数学的個性は、ヴァイエルシュトラスのそれと並んで、特別の評価を受けるに値する。(F.クライン『19世紀の数学』)

フロベニウスによれば、クロネッカーは、自身が関係した個々の分野においては、最大の数学者に匹敵することはなかった。「彼は、解析においてはコーシーとヤコビに劣り、関数論においてはヴァイエルシュトラスリーマンに劣り、算術においてはクンマーとディリクレに劣り、代数学においてはガロアに劣っている」(I.ジェイムズ『数学者列伝II』)

エドワーズが指摘するところでは、「クロネッカーの仕事が敬意を持って引用されるのは彼の死後一〇年から一五年のあいだで、その後は……稀な例外を除けば、クロネッカーの仕事を知る数学者たちはそれが二流であることを承知していたと思われる」。(H.ヘルマン『数学10大論争』)(※「二流」と訳されている所は原文では"second hand"つまり「古くさい」)

数論一般、とりわけ代数整数論におけるKroneckerの仕事の重要性を評価することは難しい。Kroneckerが非常に偉大な数学者であったことは論を待たないが、残念ながら、自分の仕事を説明する才能は、数学的才能よりはるかに劣っていて、その結果、彼の深く独創的な著作は――最も控えめないい方をすれば――きわめて読みにくい。(J.デュドネ『数学史』)

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