生年月日 | : | 1984年5月2日生まれ・牡・黒鹿毛 |
生産者 | : | 藤原牧場(北海道静内) |
父 | : | サクラショウリ |
母 | : | サクラスマイル |
母の父 | : | インターメゾ |
馬主 | : | (株)さくらコマース |
管理調教師 | : | 平井雄二(美浦南) |
競走成績 | : | 7戦4勝 |
主な勝ち鞍 | : | 弥生賞 皐月賞 菊花賞 |
備考 | : | 1987年JRA賞年度代表馬、最優秀4歳牡馬 |
サクラスターオーは美浦トレーニングセンター平井雄二厩舎に所属した競走馬。1986年10月にデビューし2戦目に勝ちあがり、明けて1987年の弥生賞を制しクラシックに名乗りを上げた。皐月賞はマティリアルに次ぐ2番人気に推され優勝。しかしながらレース後に両前繋靭帯炎を発症、7ヶ月の休養を挟み、ぶっつけでの挑戦となった菊花賞を9番人気ながら制し、杉本清アナウンサーの「菊の季節にサクラ」の実況は今も語り草となっている。しかし次走の有馬記念競走中に左前繋靭帯不全断裂、第一指関節脱臼という致命的故障を発症。通常であれば予後不良が妥当な重症であったが、関係者の熱意により懸命の治療が施された。しかし闘病は過酷を極め、スターオーはもとより関係者の心痛も頂点に達した5ヶ月後の1988年5月12日、安楽死の判断が下された。なお、弥生賞以降の全てのレースで東信二騎手が騎乗した理由は、馬主である全演植氏と小島太騎手の確執によるものだった(後に解消)。
年月日 | 競馬場 | 距離 | 競走名 | 格 | 着順 | 騎手 | |
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1986年10月5日 | 東京競馬場 | 芝1600 | 3歳新馬 | 新馬 | 2 | 小島太 | |
1986年10月18日 | 東京競馬場 | 芝1600 | 3歳新馬 | 新馬 | 1 | 小島太 | |
4ヶ月間休養 | 骨膜炎 | ||||||
1987年2月21日 | 東京競馬場 | 芝1800 | 寒梅賞 | 400 | 5 | 小島太 | |
1987年3月8日 | 中山競馬場 | 芝2000 | 弥生賞 | GII | 1 | 東信二 | |
1987年4月19日 | 中山競馬場 | 芝2000 | 皐月賞 | GI | 1 | 東信二 | |
7ヶ月間休養 | 繋靱帯炎 | ||||||
1987年11月8日 | 京都競馬場 | 芝3000 | 菊花賞 | GI | 1 | 東信二 | |
1987年12月27日 | 中山競馬場 | 芝2500 | 有馬記念 | GI | 中止 | 東信二 |
サクラショウリ | パーソロン *Partholon |
Milesian | My Babu |
Oatflake | |||
Paleo | Pharis | ||
Calonice | |||
シリネラ *Shirinella |
*Fortino | Grey Sovereign | |
Ranavalo | |||
Shirini | Tehran | ||
Confection | |||
サクラスマイル | インターメゾ *Intermezzo |
Hornbeam | Hyperion |
Thicket | |||
Plaza | Persian Gulf | ||
Wild Success | |||
アンジェリカ | *Never Beat | Never Say Die | |
Bride Elect | |||
スターハイネス | *Your Highness | ||
スターロッチ |