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ベルカンプ

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ベルカンプ

べるかんぷ

Dennis Bergkamp

オランダ代表歴のあるサッカー選手 (2006年現役引退)

フルネーム:Dennis Nicolaas Maria Bergkamp (デニス・ニコラス・マリア・ベルカンプ

生年月日:1969年5月10日、出身地:Amsterdam (アムステルダム

所属クラブ

1977〜86: ビルスクラハト / SNLアムステルダムオランダ

1986〜93: アヤックスオランダ

1993〜95: インテル・ミラノイタリア

1995〜06: アーセナルイングランド

プレースタイル、経歴など

足元に吸い付くようなトラップ技術を誇る元オランダ代表のFW。高い得点能力だけでなく、周りをうまく使うパスセンスも兼備している。彼の並外れたテクニックを象徴するプレーとして、2001年プレミアリーグニューカッスル戦でのゴールが有名。相手DFを背にした状態で、味方からのパスをワンタッチでボールを右にはたき、そして自分は左にターンしてDFを交わして決めたこのスーパーゴールは、プレミアリーグ年間最高ゴールと呼ばれ、様々な媒体でその映像が利用されている。


オランダアムステルダムで育ち、ビルスクラント、WVHEDWなどのクラブでプレーをしていた。やがてオランダの名門クラブであるアヤックスのスカウトによって、アヤックスのジュニア・チームに加えられる。86年12月に、ジュニア・チームの2軍にいた彼は、当時アヤックスの監督だったヨハン・クライフによってトップチームに昇格する。

当時のベルカンプのポジションは右ウイングだった。若手起用に大胆なクライフは、1987年のカップ・ウィナーズ・カップ決勝戦の後半に、ビチヒェの交代として彼を大舞台に立たせている。

当時のアヤックスには、史上最高のストライカーと名高いファンバステンなどが所属しており、なかなか出場機会に恵まれる事はなかったが。1987-88シーズンから出場機会を増やし始め、徐々にストライカーとしての能力を発揮し始める。

そのファンバステンイタリアへ移籍後、1990-91シーズンには25ゴールを上げ、PSV(当時)のロマーリオと並んで、初のリーグの得点王となる。その後も1991-92シーズンには24ゴール、1992-93シーズンには26ゴールと、3シーズン連続のリーグ得点王を獲得する活躍を見せ、オランダリーグ優勝オランダ・カップ優勝、UEFAカップ優勝などのタイトル獲得に大貢献した。

1990年ワールドカップ後にイタリア戦でオランダフル代表デビュー。1991年オランダ最優秀選手に選出されると、1992年にスウェーデンで行われた欧州選手権でもメンバーに選出。準決勝でデンマークに敗れるまで全試合に出場し、スコットランド戦、ドイツ戦、デンマーク戦で1得点ずつを決め、ブロリン、ラルセン、リードレらとともに、3得点で得点王を獲得する活躍を見せた。

1993年には、イタリアセリエAの名門インテル・ミラノへ移籍するも、イタリアの水に馴染めず、期待された活躍は出来なかった。1994年のワールドカップオランダ代表として出場。1次リーグ第3戦のモロッコ戦でワールドカップ初ゴールを決めるなど、チームを牽引する活躍を見せる。しかし惜しくも準々決勝でブラジル代表に敗れ、チームはベスト8で敗退する。

1995年よりアーセナルへ加入すると、チームの中心選手として素晴らしい活躍を見せ、1997-98シーズンにはリーグ制覇、FAカップ優勝のダブルに大貢献した。2000-01シーズンにはFAカップ優勝、2001-02シーズンと2003-04シーズンにプレミアリーグ優勝など数々のタイトルに貢献。その間には1998年のワールドカップ、EURO2000にもオランダ代表として出場し、チームをベスト4に導いている。EURO2000後、周りに惜しまれつつ代表引退。2004-05シーズンもアーセナルの中心選手としての活躍を期待されている。


飛行機嫌いという意外な一面もあり、国外へのアウェー遠征には帯同しないことも多い。オランダ代表の試合でも飛行機移動を伴う地域には同行しなかったこともある。飛行機不時着事故を経験していることが原因なんだとか。

彼のファーストネームである『デニス(Dennis)』は、1960年代のマンチェスター・ユナイテッドの名選手『デニス・ロー?(Denis Law)』からちなんで、彼の熱狂的ファンであった父親が名付けたものである。ネームスペルに『n』が1文字増えているのは、英語式にするとオランダでは女性になるからなんだとか。


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