サッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。
1979年9月27日生まれ。静岡県沼津市出身。身長175cm、体重74kg。
小野正朋は実弟。
日本サッカーを代表する優れた人材の1人。「攻撃と守備のバランスを保つ」仕事をさせたら日本最高の人材なのではないか。デンマーク代表FWヨン・ダール・トマソンをして「シンジは最高のパスをくれる」と絶賛させた優雅なパスは「ベルベットパス」とフェイエノールトのファンから呼ばれるまでの精度を誇る。自らゴールをも奪い取れるし、試合全体の局面を見渡す大きな視点を持ち、相手のチャンスを潰すといったプレーもできる。精度の高いフリーキックも蹴れるし、「サーカスみたいなプレーをする」と当時のフェイエノールトの監督から批判されて封印気味なワンタッチプレーもできるだろう。万能といってしまえばそれまでだが、一つ一つのプレーレベルが高い。
高原直泰、稲本潤一、小笠原満男らと共に黄金世代の代表格の選手で、世代別の日本代表の常連だった。1999年FIFAワールドユース選手権では準優勝を成し遂げている。1998年に18歳の若さでサッカー日本代表(A代表)デビュー、FIFAワールドカップには1998年・2002年・2006年の3大会に出場した。
若くしてW杯に出場した彼は輝ける星だが、暗雲が立ち込めた時期もあった。ある格下の国の選手から悪質なタックルを受け、膝に大怪我を負ってしまったのである。怪我は深刻であり、思うように治療は進まず、輝きは消えうせたかに見えた。フィリップ・トルシエから「彼は前園の道を歩きつつある」とまで評された。しかし彼は逆境を跳ね返し、オランダにおいてその存在感を大きくアピールする事に成功した。ただ、残念ながら2003年以降は怪我に悩まされることが多い。
2006年、SOFCを設立。ジュニア層の育成にも努める。
2010年シーズンは地元の清水エスパルスに入団。
2012年9月、オーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに移籍した。