生年月日 | : | 1990年3月26日生まれ、牝、鹿毛 |
生産者 | : | 酒井牧場(北海道浦河) |
父 | : | ナグルスキー |
母 | : | タケノファルコン |
母の父 | : | フィリップオブスペイン |
馬主 | : | 金森森商事(株) |
管理調教師 | : | 中野隆良(美浦北) |
競走成績 | : | 42戦16勝(うち地方9戦9勝、海外1戦0勝) |
主な勝ち鞍 | : | フラワーC エリザベス女王杯 札幌記念 エンプレス杯 群馬記念 浦和記念 川崎記念*1 フェブラリーS ダイオライト記念 帝王賞 南部杯 |
受賞歴 | : | 1996年JRA賞最優秀ダートホース NARグランプリ特別表彰馬 |
総収得賞金 | : | 8億8112万600円*2 |
ホクトベガは美浦トレーニングセンター中野隆良に所属した競走馬で「砂の女王」の異名を誇った名牝。クラシックシーズンは重賞フラワーCを制し牝馬三冠競走に全て出走、エリザベス女王杯ではこの年の二冠馬ベガを退けて優勝し「ベガはベガでもホクトベガ」と実況された。旧年齢5歳シーズンも芝を中心に使われ札幌記念に優勝。しかしながら当事整っているとは言い難かった古馬牝馬路線で斤量に苦しみ勝ちきれないレースが続き、この時期出走こそしなかったものの障害レースの飛越練習もこなしていた。ホクトベガの転換点であり、砂の女王を印象付けたのが1995年の交流重賞エンプレス杯の18馬身差大勝である。翌年明けの川崎記念でライブリマウントなどを一蹴しダート路線に活路を見出すと、ダートによる地方指定交流競走を中心にGII最後となったフェブラリーSを含む重賞8勝を挙げた。翌年明けの川崎記念ではキョウトシチーやアマゾンオペラ、イシノサンデーも完封しこのレース二度目の優勝、ダート交流競走に限ると10連勝という未踏の記録を残し引退レースに決まったドバイワールドカップに望んだ。砂の女王の海外遠征に注目が集まったが、結果は最終コーナー手前で他馬に接触し転倒、左前腕節部複雑骨折、予後不良という最悪の結果に終わった。ダート交流戦旅の出発点である川崎競馬場で行われるスパーキングレディーカップは彼女の功績を讃え「ホクトベガメモリアル」のサブタイトルを冠して施行されている。
ナグルスキー *Nagurski |
Nijinsky | Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Flaming Page | Bull Page | ||
Flaring Top | |||
Deceit | Prince John | Princequillo | |
Not Afraid | |||
Double Agent | Double Jay | ||
Conniver | |||
タケノファルコン | フィリップオブスペイン *Philip of Spain |
Tudor Melody | Tudor Minstrel |
Matelda | |||
Lerida | *Matador | ||
Zepherin | |||
クールフェアー | *Yellow God | Red God | |
Sally Deans | |||
シヤークスキン | *Silver Shark | ||
Atrevida |