プロ野球における、守備のシフトの1つ。
1962年、読売ジャイアンツ・王貞治の打球のほとんどが右翼方面に飛んでいることから、広島カープの監督であった白石勝巳が考案し採用。 MLBにおいて、「打撃の神様」ことテッド・ウィリアムズ対策としてクリーブランド・インディアンズの監督だったルー・ブードローが考案したブードローシフトが原型。
その後、松井シフト等に応用される。
王貞治さんは通算本塁打868本という記録を打ち立て、世界的にも有名な人物だ。もともとは中国国籍で、荒川さんという当時のプロ野球選手との出会いが大きかったという。王さんは草野球をしているときに、左で投げているのに右でバッティングをしていた。 そこで、その試合を見ていた荒川さんは「今度は左で打ってごらん」とアドバイスをしたところ、2塁打を放った。そこで彼の才能に惚れ、王さんを説得し、早稲田実業高校へ入学させ、野球の道へ引っ張ったという。 それから王さんはプロ入りを果たすが、最初の3年はなかなか思うような成績がでなかった。そこで、荒川さんが現役を引退し、コーチとして王さんを指導するようになった。王さ…
【2008年開幕時点】 この背番号は“花火師”のイメージ。唯一のレギュラーがレッカだが、「62」の番号性質を明かす上でこれほどの適任者はいない。キャッチャー・ファールフライ捕りの名人といわれ、'53年パ4位の23本塁打(・・・1位が31本の年)を放つ一方、三振は従来最多記録・92を大幅に更新{※1}する117、打率.200はリーグブービーの46位(最下位には1厘差)という極端さ。“三振か、本塁打か”の元祖でもあり、翌年は準~半レギで10本.187、三振81は3位。この数字から何となく見えてくるレッカ像、を薄めたものがその後の「62」のイメージとなる。 とはいってもレッカのあと、分かり易い花火の…
羽田空港の滑走路の事故 2024.1.2 責任感の強い知人がこのニュースを見て 「離陸機と着陸機が激突するのは縁起が悪い」と言っていた。 初日の出や初鰹やボジョレーヌーボーなど初物好きの文化は世界各地にあるが、「縁起思想」に重きを置いている日本の民間信仰は、辻占などタイミングさえ合えば根拠不明なことも天啓の如くにコロッと信じてしまう危うい特徴もある。 だからこそ生成AIに対して執拗に批判してるんだけどね。 野球の「王シフト」 ▶ オメコズラシをするなら左翼の野手のいない場所に打てばいいだけなんだけど、貞治ブランドにはナラティブがあるからね。 因みに朝書いたモード用語の「クラッシュ」を調べてみる…
大羽 進 (1966年) 王に立ち向かった巨人キラー 1959年に広島に入団。高校時代から王貞治と何度も戦っており、1964年5月5日には白石監督が王シフトを敷く中、4打席連続本塁打中の王をファーストライナーに抑えた。同年8月にも5試合連続本塁打中だった王を抑え王キラーとして名を馳せた。また、通算48勝の内19勝が巨人相手と巨人キラーとしても広島を支えた。 1966年は、前年に着手したフォーム改造が功を奏し、「フラミンゴ投法」と呼ばれる独特なフォームから自身初の二桁勝利となる13勝を挙げ、初のオールスターにも選出された。 1966年成績 48試合 13勝18敗 防御率3.18 237.2回 1…
※この記事は作成途中「でした」。申し訳ありません。恥ずかしながら中途半端なまま公開いたしましたが、とりあえず加除修正できたので、タイトルの(仮)を外しました。が、己への戒めのため、公開当初の言い訳部分はそのままです。 こちらは、「Wake Up, Girls! Advent Calendar 2022」の日記です。うそやでー。 本当は、深紅の大優勝旗が白河の関を越えた2022年に、野球の話を書かずしていつ書くか。 と意気込んでいたのですが、途中で力尽きてはや1年。 個人的なところでは、仙台の球場で観戦したのも昨年が初でして、その点でも記憶に残る2022年でした。田中選手が勝利投手になるところや…
ドラえもん「もしもボックス」 投手:堀内恒夫(読売ジャイアンツ) ▶ 堀内はピッチャーだからDH制のないセ・リーグで9番の打順だったけど、長打力はあるしいいバッターなんだよね。当時ちょいと振ってわざと三振するのが子供心にじれったかった。 昨日は思考実験で、大谷翔平が実力そのままで「8番ピッチャー」だったら、どうなるか。 ▶①相手投手の気持ち ②戦略の変更 ③勝敗への影響 ④意外性の付加価値 ⑤その他 を谷崎潤一郎「痴人の愛」とカクテルして試してみた。 打者:堀内恒夫 V9時代の巨人のスターティングメンバー(1973年) ここに「野球専用のAI」を導入して、「もしもボックス」なので▶身体能力にも…
【2008年開幕時点】 一時エース捕手番の座を獲る勢いだった「22」。ライバル「27」方の伊東勤台頭が'84年、そこから'89年中嶋聡台頭まで“正妻”は伊東1人。に対し「22」はその間、田村藤&木戸、に若菜('87年)、中尾 ('89年)の“多妻”ぶり。も、'91年以降、こちらも田村1人。'92年は大久保台頭も持続なず、'95年に田村レギュラーから陥落後はすっかりサブ捕手番号の趣。山崎、鈴木が野手転向、関川、礒部、和田は野手兼務(~安田秀も含め脱番後野手転向)の点も捕手像が陰った一要因。堀場、大久保に、笹本、荒井も強打特長の代打兼務捕手。しかしその流れに取り込まれつつあった里崎が'05年ブレイ…