大日本帝国憲法起草の衝に当たった四人の男。 伊藤博文、 井上毅、 伊東巳代治、 そして金子堅太郎。 彼らのうち二人までもが、昭和どころか大正の世を見るまでもなく死んでいる。 まず井上が、肺結核の悪化によって明治二十八年に。 次いで伊藤が、テロリストの凶弾を受け、同四十二年のハルビンで。 それぞれ三途の川を渡らざるを得なくなり、伊東と金子の二人ばかりが、ただ地上に残された。 (金子堅太郎) 最も長命したのは金子である。彼は昭和十六年、大東亜戦争が間近に迫り、加速度的に騒然さを増す世情の中で物故した。 享年、実に九十歳。憲法制定の内幕に関する四方山話は、専らこの金子の口から語られたという印象だ。た…