聖教新聞(創価学会の機関紙)でよく使われる言葉だが、これは、師匠と弟子は一緒であることを意味する。 小説「人間革命」や「新・人間革命」でも出てくる言葉。創価学会の池田大作名誉会長が言う「師弟不二」とは戸田城聖と池田大作と池田大作とその後継の創価学会員のことを指す。 しかし、「師匠」と「弟子」の存在は池田大作のスピーチでもたびたび登場し、例として尾崎紅葉と泉鏡花、岡倉天心と横山大観である。 おそらく、政界で言えば、吉田茂と佐藤栄作、池田勇人といったところだろう。
創価の連中が正宗の口伝法門を批判する時の定番は「御書に書いていない」という台詞だ。特に戒壇大御本尊に関しては必ずと言っていいほどこの台詞を口にする。ところが一方で創価の連中は平気で御書に書いていない池田大作の創作妄想インチキ教学を信じ主張するダブスタを発揮する。そこでそんな池田創価の御書に書いていない教学挙げて池田創価教学のインチキ法門を破折していきたいと思う。初回は創価信仰の核心である「師弟不二」を取り上げる。「師弟不二」とは仏法の根幹・根本であり、創価の魂であると池田は繰り返し会員に指導し、創価の代名詞ともいえる「師弟不二」なのだが、実はこの「師弟不二」という言葉は御書のどこにも書かれてい…
「師弟不二」よりも酷いインチキ法門と言えば「人間革命」だろうな。創価公式によると「人間革命」とは、自分自身の生命や境涯をよりよく変革し人間として成長・向上していくことらしく創価思想を凝縮した言葉だそうだが、勿論「人間革命」などという言葉は御書には書いていない。御書に書いていないどころか創価オリジナルでもない。創価における「人間革命」の初出は昭和24年8月の戸田城聖会長の巻頭言(戸田城聖全集第1巻)である。 この「人間革命」は政治学者であり東大名誉教授だった南原繁氏のが初めて使った言葉である。その内容を一部抜粋すると「人間そのものの革命「人間革命」を成し遂げねばならぬ。われわれは単に政治的或は社…
第二 「出広長舌(すいこうちょうぜつ=広長舌を出だしたもう)」の事 御義口伝に云わく、「広」とは迹門、「長」とは本門、「舌」とは中道法性である。十法界は、皆ことごとく妙法の功徳であるから「広」といい、竪に高いところから「長」というのである。「広」とは三千塵点より已来の妙法の意であり、「長」とは五百塵点より已来の妙法ということである。この三つは、それぞれ違った観点であるが、同じく「広長舌」のあらわすところの意義である。 <講義より> 大聖人は、この広長舌ということについて、観心の立場より「広」とは横に、空間的に広い、すなわち十法界を網羅するとの意で、迹門をあらわし、、「長」とは、竪(たて)に、時…
いつもみなさん、ありがとうございます。 ところで『四菩薩造立抄』という日蓮の遺文をみなさんはご存知でしょうか。 この御書は録外初出、日蓮真蹟も古写本も現存しません。したがって同抄の成立については疑義が持たれているようです。 この御書は弘安2年5月17日の日付があり、仮に真蹟と判断するなら佐渡以降、身延にいる頃に書かれたことになります。 いくつかの伝によるなら、富木常忍からの供養の品物が贈られ、その中で仏像造立について富木氏が日蓮に指導を仰いだのに対して送られた書状ということになっています。 内容は日蓮が釈迦仏像を一尊四士(釈迦像の周りに上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩を立てて建立される仏像形…
第三 「仏子住此地 則是仏受用(仏子この地に住せば、則ちこれをば仏は受用したもう)」の事 御義口伝に云わく、この文を自受用の明文というのである。「此地」とは、無作の三身の依る地なり。「仏子」とは、法華の行者なり。仏子は菩薩なり。法華の行者は(活動面、行動面から言えば)菩薩である。「住」とは、信解の義である。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、妙法の地に住することとなり、仏の受用の身である。深くこれを思案しなさい。 <講義より> 仏受用(ぶつじゅゆう)の三文字は自受用身をあらわし、この文は自受用身の明文となる。また、師弟共に常寂光土に住することを書かれた御文でもある。 師とは久遠元初…
池田大作・創価の裏工作が失敗し池田が2度法廷に立って晒された「月間ペン事件裁判」は創価側の勝訴の判決が出ているが、その判決によって恰も池田が潔白で被告の隈部の言ったこと(書いたこと)は全てウソ・デマと創価は会員に触れ回っているが名誉棄損というのは「事実を言っても(書いても)」成立する。隈部によって書かれた記事が「全て噓だった」ということを認定する判決ではない。裁判において注目べきは主文ではなくその判決文の内容なのである。特に名誉棄損裁判においては裁判の過程で何が語られたが重要である。例えば日顕上人の「芸者写真」裁判では宗門側の名誉棄損の訴えが認められず創価の勝訴になったが(この判決は今回の月間…
音楽の神 天国へ 召されんと 世界を一つ 調べ奏でて ブルーベリーの枝が風に揺れて、春の水先案内をしているようだ。 6日、心不全で小澤征爾さんが亡くなった。享年88歳。 小澤は旧満州・奉天(現瀋陽)に生まれ、日本で育った。成城学園で指揮者の斎藤英雄に学んだ。59年、若手指揮者の登竜門であるブザンソン国際指揮者コンクールで1位となった。60年、カラヤン指揮者コンクールで優勝し、カラヤン、ミュンシュに師事した。 61年、バーンスタインに、ニューヨークフィルハーモニックの副指揮者に招かれた。73年、ボストン交響楽団の音楽監督に就任する。その合間をぬうようにして、労使紛争で揺れた日フィルから新日フィル…
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1998780.html 0186~0237 開目抄 大白蓮華より 先生の講義 第一回 「開目」 2020/06/05 15:20 0186~0237 開目抄 大白蓮華より 先生の講義 第一回 「開目」 大聖人に目を開け 民衆に目を開け 宗教は人間の柱です。 哲学は人生の骨格です。 創価学会は「剣豪の修行」ともいうべき教学研鑽の力によって前進してきました。日蓮大聖人から直接、御指導を受けるべき思いで御書を開き、信行学を深め、勇気を奮い起して広宣流布の一切の闘争に勝利してきました。「御書根本」の前進…
2023.12.2 聖教新聞より抜粋 池田大作先生と各地の絆 〜「人間革命」起稿の日に〜 - YouTube 12/2 池田先生が綴った民衆の大叙事詩 小説「人間革命」起稿の日 小説『人間革命』『新・人間革命』は 英語、中国語、スペイン語、韓国語などの 各言語に翻訳され、世界で読み継がれている 「一人の人間における 偉大な人間革命は、やがて 一国の宿命の転換をも 成し遂げ、さらに全人類の 宿命の転換をも可能にする」 小説『人間革命』『新・人間革命』の主題は、そのまま池田大作先生自身の 人生をかけた壮大な挑戦であった。 半世紀を超えた執筆の偉業は1964年12月2日に開始された。 恩師・戸田城聖…
我ら具縛の凡夫、たちまちに教主釈尊と功徳ひとし。彼の功徳を全体うけとる故なり。経に云わく「我がごとく等しくして異なることなし」等云々。法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり。 今月の座談御書も以前一度やった御文なので下に以前の講義と日妙聖人の略伝記事を貼って置くよ。さて今回も前回の講義と重複するけど創価教学ってこういう御文を学ぶとほぼ高確率で「自分と仏は等しい」いうような講義をするよね。そして最近の傾向では「法華経」を「南無妙法蓮華経」と講義する。昔は「法華経=南無妙法蓮華経=戒壇大御本尊」って会通したんだよ。六波羅蜜(釈尊の因行)が具わっているのは、本門の本尊の南無妙法蓮華経でその体は…
いちりん楽座「池田大作の死と創価学会」11月26日(日)13時〜18時(12時半からオープン)GoogleMeethttps://meet.google.com/gdo-vywv-hjk参加ご自由、参加費無料、途中入退室自由上記URLをクリックするだけで参加できる。ついに創価学会のカリスマ、池田大作氏が亡くなった。11月15日。ほんとうに亡くなったのか、すでに亡くなったのに秘され続けていたのか、真相はわからない。かつて公明党の浜四津敏子(公明党の元参議院議員、環境庁長官、党の代表代行)の死は、3年間公表されていなかった。その例でみられるように、じつのところかなり前に亡くなっており、発表されたの…
本日、池田大作名誉会長の訃報が日本中を駆け巡った。 公明党のみならず、岸田首相をはじめ与野党の有力者から追悼のメッセージが出された。ここ10年近く動静が絶えていた人にもかかわらず、いざ死去となると大きなインパクトを社会に与えている。あらためて彼の人の影響力の大きさに驚かされる。 実際、創価学会に批判的な立場の人でも、池田大作という人間の影響力の大きさを否定する人はいないだろう。 そこで、今後池田名誉会長の死が、どのような影響を与えるか考えてみた。 ・創価学会は分裂しない 週刊誌等は池田名誉会長の死をもって、「創価学会分裂!」、「お家騒動へ」などと煽るかもしれないが、池田名誉会長の死をきっかけに…
第十二 「若人欲加悪 刀杖及瓦石 則遣変化人 為之作衛護(もし人、悪・刀杖および瓦石を加えんと欲せば、則ち変化の人を遣わして、これがために衛護と作さん)」の事 御義口伝に云わく、「変化人」とは、竜の口守護の八幡大菩薩なり。 今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者を守護すべしという経文なり。 第十三 「若親近法師 速得菩薩道(もし法師に親近せば、速やかに菩薩の道を得)」の事 御義口伝に云わく、「親近」とは、信受の異名なり。「法師」とは、日蓮等の類いなり。「菩薩」とは、仏果を得る下地なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者のことなり。 <講義より> 菩薩の行をしなくては、仏果をうる…
かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり 今月の座談会御書の御文は以前一度やった御文なので前回とやや重複するので下に前回の講義を参考までにリンクしておいた。さて創価教学だと冒頭の「かかる者」即ち日蓮大聖人の事を「法華経の行者」或いは「上行菩薩」であると講義するのが大半だ。しかしその説明は確かに間違いではないが正解でもない。何故なら「法華経の行者」「上行菩薩」という表現はあくまでも大聖人の外用の姿であり迹の姿の説明にすぎないからだ。大聖人が御本仏であることを表に講義してこそ正しい御書講義になるの…
第二 この品は述成段なる事 御義口伝に云わく、「述」とは迦葉なり、「成」とは釈尊なり。「述成」の二字は、迦葉・釈尊一致する義なり。詮ずるところ、「述」は所化の領解、「成」は仏の印可なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と領するは「述」なり、日蓮が讃嘆するは「成」なり。我らが即身成仏を説き極めたる品なり。述・成の一致符契するは、述成不二の即身成仏なり。この述成は、法界三千の皆成仏道の述成なり。 <講義より> 述成とは師弟不二、境地冥合をあらわしている。大聖人と日興上人の御姿こそ述成であり、師弟不二なのである。 大聖人が御書のいたるところに「日蓮等の類い」「日蓮が弟子檀那等」と言われているのは、我…