聖教新聞(創価学会の機関紙)でよく使われる言葉だが、これは、師匠と弟子は一緒であることを意味する。 小説「人間革命」や「新・人間革命」でも出てくる言葉。創価学会の池田大作名誉会長が言う「師弟不二」とは戸田城聖と池田大作と池田大作とその後継の創価学会員のことを指す。 しかし、「師匠」と「弟子」の存在は池田大作のスピーチでもたびたび登場し、例として尾崎紅葉と泉鏡花、岡倉天心と横山大観である。 おそらく、政界で言えば、吉田茂と佐藤栄作、池田勇人といったところだろう。
ネットで見ていると創価学会の中、末端組織のメンバーも、教学要綱の事や、最近あった公明党の自民党「裏金議員」の推薦の事で、少し揉めている感じがしますね。 ただこれはネット上だけの話で、私の地元を見てみると、実働部隊たる末端組織は少子高齢化と、主要活動家の離脱が見えるものの、それほど揉めている様には思えません。ただそれ以前に組織内にも様々な人がいますので、そういった組織内人間関係で小さなもめごとは相も変わらずの状態ですし、活動家の減少に歯止めがかかっていない状況です。 この教学要綱だ教義改正だ、自民党の「裏金議員」の推薦だという事の話題は、実際の末端組織では微塵も話題にはあがっておらず、また昨今の…
創価学会で活動を始めた時に、最初に教えられたのは「師弟」という事でした。 私が活動を本格的に始めたのは昭和も末期の頃でしたが、その当時はまだ創価学会は「日蓮正宗創価学会」と呼んでいて、先輩からも「創価学会は新興宗教では無いんだ。富士の清流七百年と伝統のある日蓮正宗の信徒団体なんだ」と良く教えられたのです。 しかしそんな中でも「池田先生は師匠である」という事は、常に先輩幹部からは教えられてきたのですが、そうなると当時一つの疑問が浮かびました。 「池田先生を師匠と言うのは良いですが、日蓮正宗では御法主日顕猊下がいますよね。池田先生も猊下の下で信徒というなら、やはり信心上は猊下が師匠なのではありませ…
創価の連中が正宗の口伝法門を批判する時の定番は「御書に書いていない」という台詞だ。特に戒壇大御本尊に関しては必ずと言っていいほどこの台詞を口にする。ところが一方で創価の連中は平気で御書に書いていない池田大作の創作妄想インチキ教学を信じ主張するダブスタを発揮する。そこでそんな池田創価の御書に書いていない教学挙げて池田創価教学のインチキ法門を破折していきたいと思う。初回は創価信仰の核心である「師弟不二」を取り上げる。「師弟不二」とは仏法の根幹・根本であり、創価の魂であると池田は繰り返し会員に指導し、創価の代名詞ともいえる「師弟不二」なのだが、実はこの「師弟不二」という言葉は御書のどこにも書かれてい…