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石原吉郎

読書

石原吉郎

いしはらよしろう

1915年、静岡に生まれる。

1938年、東京外国語学校ドイツ部貿易科卒業。大阪ガスに入社、研究部に勤務。姫松教会にて洗礼を受ける。

1939年、応召。静岡市歩兵第34連隊に入隊、歩兵中隊に所属。

1940年、北方情報要員第一期生として、大阪歩兵第37連隊内大阪露語教育隊へ分遣。

1941年、関東軍司令部、関東軍情報部に配属。1942年、応集解除。ひきつづき関東軍特殊通信情報隊(秘匿名称、満州電々調査局)に徴用。

1945年ソ連対日宣戦布告、終戦。密告によりエム・ペ・デ(ソ連内務省)によって拘留され、ソ連領へ。

1946年、アルマ・アタ第三分所に収容(以後1953年まで中央アジアシベリア強制収容所を転々とする)。

1948年、カラガンダ市郊外の日本軍捕虜収容所に収容。

1949年2月、中央アジア軍管区軍法会議カラガンダ臨時法廷へ引き渡され、ロシア共和国刑法58条(反ソ行為)六項(諜報)により起訴される。判決は重労働25年(死刑廃止後の最高刑)。

9月、ストルイピンカ(拘禁車)でタイシェットのペレスールカへ。

10月、バム(バイカルアムール鉄道(第二シベリア鉄道)を北上、沿線密林地帯の収容所(コロンナ33)に収容。森林伐採に従事。

1950年4月、コロンナ30へ移動。流木、土工、鉄道工事、採石などに従事。

9月、ハバロフスク市第6分所に収容。

1953年3月、スターリン死去。特赦により日本へ帰還。

1955年 、粕谷栄市らと詩誌『ロシナンテ』を創刊。

1963年 、第一詩集『サンチョ・パンサの帰郷』を刊行(H氏賞)。

1973年 、『望郷と海』を刊行(歴程賞)。

1977年11月14日、死去。