石田芳夫『無門』(日本棋院謹製) お前に用意された門などない。汝の入門を許さず。なにやら容赦のない、厳粛拒絶の言葉とも聞えるのだけれど。 修証一如について、谷川徹三はもう少し先まで紹介してくれている。 端座参禪を修行の正門とする教えにたいして、かようなクエスチョンが寄せられる。弟子僧からだろうか。 「いまだ修行中の者には、そりゃ座禅が必要でしょうが、すでに修行を積んで悟りを啓いた者には、今さら座禅でもないのでは?」 道元アンサーはこの問いを、厳しく退けている。いく様にも言葉を替えて、繰返し諌め、強調している。 「修証(修行と悟り)が同一でないとするのは、外道の考えかただ」「悟りが啓けたのちには…