プロ野球選手(内野手)、指導者。
1967年6月17日生まれ、東京都出身、O型、右投両打。
現役時代は大石大二郎の晩年に重なる形となり、二塁のポジションを大石と争う形となったが、3年目に不振に陥り、1996年にブルーウェーブに移籍。移籍後はイチローとのコンビという意味合いで背番号52をつけ、ここぞという場面で活躍した。
同年9月23日、パ・リーグ優勝を決めた試合で、延長10回のイチローのレフト線へのヒットで一塁から一気に生還、サヨナラタイムリーとした。優勝、日本一にも貢献した。その後、弱体化が進んでしまったチームの中で二塁手ずっとレギュラーを守り続けた。
2005年に現役引退し指導者に転身。
漫画『ササキ様に願いを』では「ププ会」の会長として会をまとめ上げていた。
インタビュー内容 Q.茨城県のトップで、茨城、栃木、群馬の3県からなる北関東ナンバー1で、関東有数で、日本でも有数の大学である筑波大学への編入学おめでとうございます!受かった時の心境は? A.「おお~!受かってる!」という気持ちでした。本当に自分の番号なのか、家族に確認してもらいました。面接のとき、落ち着いて、上手くいった感触はありましたが、まさか合格しているとは思っていませんでした。嬉しいのですが、私は社会人ですので、4月から「仕事をどうしようかな」と考えてしまいました。 Q.筑波大学には、朝永振一郎、江崎玲於奈、白川英樹といったノーベル賞を受賞した教授もいましたし、元NHKの武田真一アナウ…
インタビュー内容 Q.茨城県のトップで、茨城、栃木、群馬の3県からなる北関東ナンバー1で、関東有数で、日本でも有数の大学である筑波大学への編入学おめでとうございます!受かった時の心境は? A.「おお~!受かってる!」という気持ちでした。本当に自分の番号なのか、家族に確認してもらいました。面接のとき、落ち着いて、上手くいった感触はありましたが、まさか合格しているとは思っていませんでした。嬉しいのですが、私は社会人ですので、4月から「仕事をどうしようかな」と考えてしまいました。 Q.筑波大学には、朝永振一郎、江崎玲於奈、白川英樹といったノーベル賞を受賞した教授もいましたし、元NHKの武田真一アナウ…