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藤村富美男

スポーツ

藤村富美男

ふじむらふみお

プロ野球選手・指導者。俳優。

通称「ミスタータイガース」。

右投右打、ポジションは三塁手背番号は10番。


1916年8月14日生まれ。広島県出身。

呉港中学で甲子園出場。1936年大阪タイガースに入団。

「物干し竿」と呼ばれた長いバットで本塁打を量産。

入団時より存在感があり、藤村の存在により三塁手の守備位置が「ホットコーナー」と言われるようになる。

1950年阪神タイガースパ・リーグ加盟を寸前で反故にした事により、毎日オリオンズに選手を大量に引き抜かれる事件があった際、

「俺はタイガースの藤村だ」という名言を残し、残留している。

1954年7月25日、審判に退場を宣告されたが、理解していなかった藤村が再び打席に立とうとしたため、乱闘が起こり、タイガース没収試合となった。

このため出場停止となり、連続試合出場の記録が1014試合で途絶えた。

1955年選手兼任監督を務める。

1956年6月24日、「代打俺」の発言で三塁コーチャーズボックスから打席に向かい、長谷川良平からサヨナラ満塁本塁打を放つ。

観客を沸かせるなど、スターとしての資質も十分であった。

しかし、選手との間の溝は深まり、金田正泰?主将を筆頭とする「藤村排斥事件」が起こる。

1957年に一度現役を引退したものの、「引退後はタイガースの職務に直接関わらない」という条件の元に和解し、現役復帰。

1958年、現役引退。

同年、背番号10がタイガース永久欠番となる。


1963年、国鉄スワローズのコーチに就任。

1964年東映フライヤーズのコーチに就任。

1967年、二軍監督に就任。1969年まで務める。


その後は俳優業などにも手を広げた。

時代劇「新必殺仕置人」で演じた、仕置人の元締め役は有名。

劇中でも、物干し竿を武器として使用していた。


1974年、野球殿堂入り。


1992年5月28日、糖尿病による腎不全のため逝去。

タイガースの歴史に欠かせない人物であり、「藤村の前に藤村無し、藤村の後に藤村無し」言われる存在であった。

また、弟の藤村隆男プロ野球選手で、藤村の息子や孫も甲子園出場を果たしており、野球一族として有名である。