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徳川家宣

一般

徳川家宣

とくがわいえのぶ

江戸幕府代将軍(任1709〜1712 1662〜1712).

甲斐甲府藩主徳川綱重の長男.母は側室長昌院(お保良の方).幼名虎松,通称左近,諱ははじめ綱豊.法号は文昭院.

1678(延宝六)年,父綱重の没後,甲府徳川家二十五万石を就封,翌年には左大臣(当時)近衛基煕の娘煕子と結婚.1704(宝永元)年に叔父徳川綱吉の養子となり家宣と改名,このとき家臣たちは幕臣に編入された.

1709年に綱吉が没すると,将軍職を後継.前代の遺臣柳沢吉保や荻原重秀を退け,甲府時代からの侍講新井白石側用人の間部詮房らを登用して文治政治を展開し,閑院宮家の設立朝鮮通信使の待遇改善,財政改革などを行い正徳の治と称されるが,治世わずか三年余りで没した.