富士銀行

一般

富士銀行

ふじぎんこう

財閥安田銀行が、戦後GHQによる財閥解体によって商号変更により誕生

第三銀行肥後銀行,第九銀行,二十二銀行,第三十六銀行,第五十八銀行八十二銀行,八十四銀行,八十七銀行などを吸収しながら拡大.

戦前・戦中の各種政策によりトップバンクの代名詞とされ、事実第一勧業銀行が誕生するまで邦銀トップの座にあった

岩佐凱実?頭取時代(1963〜1971)に、旧安田財閥系企業と富士銀行の緊密企業を中心に芙蓉グループを結成(1966)するが、企業集団としては脆弱だった

1970年代から長期凋落傾向が続き、1980年代には住友銀行との競争(FS戦争?)に惨敗。90年代に入ると、バブル期の無理な拡張や戦略の失敗、富士銀行特有の人事差別が影響し行員のモラルが低下。重大犯罪が相次いで発覚した

相次ぐ不祥事と、住友・三和の関西勢のリテール顧客重視、三菱・興銀の富裕層開拓に影響され、晩年にはリテールを重視したサービスを提供し、信頼を回復しつつあった

しかし、同じ芙蓉グループで緊密先の山一證券の救済に失敗し、兄弟銀行の安田信託銀行の処理問題で格付けが低下。第一勧銀・興銀との経営統合選択せざるを得なかった

2002年4月分割合併に伴いみずほコーポレート銀行に商号変更し、一部事業みずほ銀行に分割継承した。

旧富士銀行の重要支店

安田銀行の最初の本店が置かれた場所。そのため、安田銀行発祥の地とされ現在でも神聖視されている

富士銀行東京証券取引所証券決済を独占していた(場勘銀行と呼ばれた)関係から、多数の証券会社の決済口座が集中する重要支店だった。この支店が残されなかったのは、一説には旧第一勧業銀行兜町支店が、旧第一銀行発祥の地であるためとされている

安田銀行が旧東京市(現東京都)の公金取り扱いを独占していた関係で関係で設置。地方自治体では、指定金融機関制度によってこういった行政庁舎内での銀行支店は珍しくないが、旧安田銀行明治初期に財政難であった自治体に、破格の条件で融資を行うことで公金取り扱い業務を独占したために「公金の安田」と呼ばれた。東京都庁出張所はその象徴的な存在。なお、出張所扱いのため母店は旧富士銀行本店であった東京中央支店となっている

同じビルにUCカードが入居し、公営競馬の指定決済支店であり、決済集中支店でもあった