令和7年5月4日付けの読売新聞に、1900年パリ万博を振り返る記事が掲載されていました。「帝室技芸員 最高の技駆使」として、日本貴神殿舎二層楼南面および三層閣南面の計画図が掲載され、「9代伊藤平左エ門(へいざえもん)が製作し、1900年パリ万博で金牌を受賞」とあります。 伊藤平左エ門は、尾張藩の工匠の棟梁として代々続いた名跡であり、特に9代伊藤平左エ門は、江戸時代末期から大正時代にかけて活躍した建築家として有名です。彼は京都や奈良で日本古代建築を研究し、明治時代には東京・横浜で洋風建築を学びました。さらに清国(現在の中国)に渡り、中国建築の技法も習得するなど、幅広い建築様式を取り入れました。有…