「第千二百三夜 2007年10月15日 渡辺京二 逝きし世の面影」@senya
引用:ジョルジュ・ブスケも…… 「日本人の生活はシンプルだから貧しい者はいっぱいいるが、 そこには悲惨というものはない」と書き…
エドウィン・アーノルドは、 「日本の最も貧しい家庭でさえ、醜いものは皆無だ。 お櫃(ひつ)から簪(かんざし)にいたるまで、すべての家庭用品や個人用品は、 多かれ少なかれ美しく、うつりがよい」と講演でのべた。
アンベールは、 日本が何百年にもわたって、質素でありながらつねに生活の魅力を満喫していることに、 驚くとともに感銘をうけている。 ルドルフ・リンダウの『スイス領事の見た幕末日本』(新人物往来社)には、次のようにある。 「何もすることもなく、何もしていない人々は、日本では数多い。 かれらは火鉢のまわりにうずくまって、お茶を飲み、小さなキセルを吸い、 満足な表情で話をしたり、聞いたりしている。 そこには日本人のやさしい気質と丁寧な人づきあいとがあらわれている」。
ぼくは1967年から1973年くらいまで、 「夏はソーメン、冬はいなりずし」という日々を原則にしていたが、 その途中で結婚し、借金をして「遊」を創刊し、 そんなぼくのまわりにお金のない連中ばかりが集まってきて、 それでも一緒に仕事をしたいというふうになっていった数年間を、 いまから思えば「最低の経済生活」をしていたというふうになるにもかかわらず、 その日々を「最も恵まれた日々」だったと思い出すことができる。
オールコックは日本を見て、 「ヨーッロパ人が、どうあっても急いで前に進もうとしすぎている」ことを 実感せざるをえなくなり、 「アジアがしばしば天上のものに霊感をもちつづけている」ことに驚き、 そこに「ヨーッロパ民族の物質的な傾向に対する無言の抗議」があることに気がつくのだ。
しかし、実は、日本を見捨て、日本を見殺しにしたのは日本人であったのだ。 …… 日本人は何もかもを見て見ないふりをして、 いまなお日本を見捨て、日本を見殺しにしつづける。問題は、ただひたすら、そのことにある。
そこで渡辺が言い放ったことは、かつて日本には「親和力」があったということ、 それは文明であって、かつ滅んだのだということ、 だからこれらをわれわれは「異文化」として新たに解釈しなくてはならないということだった。
つまりは、いまや「日本の面影」の本来的な研究と再解釈と、 そしてそこにひそむ方法を感知することだけが、一挙に、 そしてただちに要請されているだけなのである。
上に書かれた西洋人の当時の日本に対する感覚は、 私がオランダに居た時に感じたものに似ている気がする。
古い自転車をきちんとメンテして、天気の良い休日はそれを駆って走り回る人たち。 小さな庭をきちんと手入れし、窓のカーテンはいつも開放されてて、 中まで丸見えな小奇麗な家。まぁ一年しかいれなかったし、 よく映る面しか見てないのかもしれないが、 よい意味の頑固さは確かにあると思う。 対するに、日本人は(本音はどうであれ)日和見な人間ばかりに見える。 教育と洗脳(メディア、というかテレビ)の成果なんではないか、と思う。
アメリカに比較すると、カナダはその意味では圧倒的にまともだ(落ち着いている) と思う。
10/26/2007: 腹ぺこと満腹(赤瀬川原平)
別な視点。
この「清貧」的な感覚をよしとする気持ちと、 ここで述べられている リアリスティックな気持ちと、 どう折り合いを付けるのだろう。
というようなことは、いろんなものについて、いつもいつも、 モヤモヤと目の前に漂っているな。
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