市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

今日のモンちは2回も散歩に連れて行ってもらった。


  • 朝は、いつものルーチン。 その後、モンのご褒美(通称「ゴホ」)が切れたので買いに行こうと思ってたのだけど、 ついでに最近ご無沙汰のシェルパでドライブしようと、モンも連れて行った。 ペット屋には連れてはいれるのだけど、面倒なので車(の中のシェルパ)でお留守番。 その後、昔の散歩コースの公園に車を止めて、その辺りを軽く散歩した。覚えてたかな?

「人を見る目」@tatsuru


  • 引用、その1:
    山形浩生さんが少し前にノーベル賞について、「…… 日本でも、何かノーベル賞に比肩するような世界的な賞を作ってみてはどうだろうか?(・・・) もちろん・・・おそらく無理だろう。 日本ではそんな賞はすべて地位と経歴と学閥内の力関係で決まり、 下馬評は事前にだだ漏れとなり、受賞目当てのロビイングが横行し、 結果としてだれも見向きもしないつまらない賞になりはてるだろう。 それが日本の問題なのだ。」(「論点」、毎日新聞、10月31日)

    • そういえば昔(と言っても、実は約3年ほどしか経っていなかった)、清水の舞台から飛び降りるくらいの気分で、 稲盛財団の職員に応募したことがあるのだけど、その時の印象は、 (自分らで主導権を取るというよりは)選考を下請けに出して、 上ってきたものを粛々と与えるシステムなのかな、と感じた。

    • この面接、せっかく、強行スケジュールを立てて、自腹を切って(ありがたいことに、 国内旅費は出してもらったけど)、 面接にまで行ったのに、居並ぶ偉い人にはそういう気持ちは全然伝わらないようだったし、 いろんな意味で、ひどくがっかりした経験だった。

    • IBMの出してる賞(日本IBM科学賞@ibm)とかは、どうなんだろうな?

  • 引用、その2:
    私たちの社会のたいへん深刻な問題のひとつは「人を見る目」を 私たちが失ってしまったということである。

    「人を見る目」というのは、その人が「これまでにしたこと」に基づいて 下される評価の精密さのことではなく、 その人が「これからするかもしれない仕事」についての評価の蓋然性のことだからである。
    「この人はもっさりしているが、いつか大きな仕事をするに違いない」 「この人はずいぶん羽振りのいい様子をしているが、そのうちに大失敗するに違いない」 「この人はずいぶん恭順な様子をしているが、そのうち私の寝首を掻く気でいるのであるな」 などなど、「まだ起きていないこと」についての予測の確かさのことをもって 「人を見る目」と称するのである。

    「人を見る目」というのは、突き詰めて言えば、 目の前にいる人の現実の言動を素材にして、 その人の「未来」のある瞬間における言動をありありと想起することである。
    別にむずかしいことではない。
    それは「こういう状況でこういうことを言っていた人間」が 「それとは違う状況」に置かれた場合にどのようにふるまうかについての 先行事例の膨大な蓄積がこちらにあれば、 数年後のその人の表情や口ぶりくらいは簡単に想像できる。

    • みんな、後出しジャンケンばっかりだと思う。 大勢の評価が定まったものしか褒められない、と。

    • けなすのは簡単だけど、褒めるのは難しい、 それも、まだ誰も見つけていないポイントなり、人なりを、 というのは言い尽くされたことだけど。