戦艦武蔵

JAN26THURS/2012/11:50AM

吉村昭戦艦武蔵」を読み始めているが、なかなか読み終わらない。すでに「戦艦武蔵ノート」は読み終わっている。小生にはあまり力んで書いていない「戦艦武蔵ノート」の方が読み易い。「星への旅」を書いて、ドキュメント的な「戦艦武蔵」を書いたわけだが、第二次大戦と愚かしい戦争を何故日本がしたかと意味をしる上で、戦艦武蔵を書きたかったと吉村昭は述べている。

それでは、何故戦艦大和ではないのか。その理由に武蔵は長崎造船所、つまり、三菱重工という民間会社が造った点で、関心が強かったと主張している。大和は軍に所属する呉の工廠が造った点で関心が薄かったという。

吉村昭は第二次大戦を軍人だけが好んで引き起こした戦争ではなく、国民の自発的な戦意があって成り立った戦争だという点を言いたかった。すべてを軍人に責任を負わせるのではなく国民にも戦意を煽る熱気というものがあったのを等閑視している不満をもらしている。

巨大な戦艦を民間人が軍とともに造ったのである。当時における最高の技術水準を駆使して造った軍艦なのである。

しかし、小生には戦艦武蔵への国民的期待と軍の秘密主義は大きく国民から乖離していたと思う。

戦後20年以上たっても、憲兵をおそれながら戦艦武蔵の雄姿をみた猟師の情報リークの慄きはいったいなになのか。
いまだに、長崎造船所内の図面図書室の海軍極秘印が押してあるものについては、図書係が“公開”を拒否する対応をなんというべきなのか。戦争の後遺症がそこかしこにトラウマとなっている。

「トロイの馬」を造った熱狂とは別に、策謀に失敗した「トロイの馬」は戦士ともどもに破壊されてしまった。「トロイの馬」の願いは果敢なく潰えたのである。

戦艦武蔵」が読まれたのは、吉村昭の書いた“鎮魂の詩”である。日本人はいつもあの大戦の“鎮魂の詩”を読みたがる。戦勝祈願の象徴はいかなる法力をも見せずに海に潰えた。しかし、英雄アキレスの死は繰り返し永劫に「イーリアス」の中で詠われる。

日本の造った双子の巨人として。

PS/
これをロスアラモスの原爆開発とくらべると、いささか、新兵器開発のトップシークレットの扱いが相似している。図面係の少年のスパイ嫌疑→ローゼンバーグ事件、長崎中国人街の一斉検挙→「赤狩り」運動と同じような兆候を示している。軍の極秘を巡って易々と憲法や法律が無視され人権がないがしろにされることである。

大和や武蔵が原爆のように無垢の市民を殺さず潰えたことは一つの僥倖であったのかもしれない。