ハンナ・アレントの「一般意志」論


ルソーの「一般意志」論について考える上で、以下のような読解を引いて多くの人の目に触れやすくしておくことが、あるいは多少の意味を持つこともあるかもしれない。いささか長くなるが、ご容赦を願いたい。

 このような多くの頭をもつ一者をつくりあげるためにルソーは、もっともらしい単純な仮説に頼った。彼は、相争う二つの利害は、この両者に同じように対抗する第三者に直面したとき互いに同盟を結ぶという一般的な経験にその手掛かりを求めた。政治的にいえば、彼は国民共通の敵が存在することを前提にし、その敵が味方を統一させる力に頼ったのである。敵が存在するばあいにのみ、フランス人やその他のすべての国民の理想、すなわち一つの不可分の国民のような事柄は実現されうる。したがって国民的統一は、国際関係における少なくとも潜在的な敵対関係のもとでのみ自己を主張することができる。この結論は十九世紀と二十世紀における国家的政策の暗黙の常套手段である。サン=ジュストがすでにそれについて熟知していたのは明らかに一般意志論の結果である。彼は、国際関係だけが「政治的」と呼ぶにふさわしく、人間関係そのものは「社会的なもの」を構成すると主張した。


 しかしルソー自身はさらに一歩を進めた。彼は国内政治にも有効な統一原理を、国民そのものの内部に発見しようと望んでいたのである。結局、彼の問題は国際関係の範囲外でどこに共通の敵を見つけだすかということであった。彼の解答は、このような敵はそれぞれの市民の胸のなかに、つまり、市民の特殊意志と特殊利害のなかに存在するというのであった。問題の核心は、この隠れた特殊な敵は、ただ特殊意志と特殊利害がすべて合計されさえするならば――内部から国民を統一しつつ――共通の敵の地位にまで高められるという点にあった。つまり、国民内部の共通の敵は全市民の特殊利害の総計である。


ルソーはアルジャンソン侯を引用していう。「『二つの特殊利害の一致は第三の利害にたいする反対によって形成される。』(アルジャンソンは)全利害の一致はそれらが互いに対立しあうことによって形成されるとつけ加えてもよかったであろう。もし異なった利害がないとしたら、共通の利害は、何の障害にもぶつからないのだから、ほとんど感じられないだろう。そして、すべての利害はひとりでに進み、政治は技術たることをやめるであろう。」


 読者は、ルソーの政治理論の全体系が依拠している、意志と利害との奇妙な同等視に気がつかれたであろう。彼はこれらの用語を『社会契約論』のなかでは同義語として用いている。そして彼の暗黙の仮定は、意志は利害のある種の自動的な発現であるということである。したがって一般意志は一般利害の発現であり、人民あるいは国民全体の利害の発現である。そして、この利害あるいは意志は一般的であるから、その存在そのものは、それがそれぞれの特殊な利害あるいは意志と対立していることにかかっている。


ルソーの論理構造では、国民が「ひとりの人間のように」立ちあがって神聖同盟を結成するためには、外敵が国境に攻めてくるのを待つ必要はなかった。それぞれの市民が共通の敵とそれがもたらす一般利害を自分の内部にもっている限り、国民の一致は保証されているのだから。そしてこのばあい、共通の敵とは各人の特殊利害であり特殊意志なのである。特殊な人がそれぞれその特殊性において自分自身と対立しさえするなら、彼は自分自身の敵対者――一般意志――を自分の内部につくりあげることができ、結局、彼は国民的政治体の真の市民となるだろう。なぜなら「相殺するプラスとマイナスを(すべての特殊)意志から取り去ってしまえば、一般意志がその差の総和として残る」からである。こうして国民の政治体に参加するためには、国民一人一人が自分自身にたいして絶えず反乱を起していなければならない。


以上の文章は、ハンナ・アレントの『革命について』(On Revolution)からのものである(志水速雄訳、筑摩書房、1995年、116-118頁。一部改行を加えた)。なお、アレントがルソーから引いている部分の太字強調は、アレントが傍点を付している箇所であり、ルソーではない(その点を注記した訳者挿入を略した)。ルソーからの引用に含まれるダルジャンソン(d'Argenson)侯からの引用は、岩波文庫版『社会契約論』(桑原武夫・前川貞次郎訳、1954年)では「各人の利害は、それぞれ相異なる原理をもつ。二つの個別的利害は、第三者の利害との対立によってはじめて合致する」となっている(47頁)。


ここで為されている一般意志についてのアレントによる解釈は、一般意志を結局は多数者による支配と深く結び付いているものとして見なす立場である。彼女はここで、この「明らかに無意味な神秘的雰囲気でつつまれた概念」(『革命について』、172頁)を単純素朴な政治的現実の中に置き直すということを、意識的に行っている。近年の高い人気にもかかわらず、その「正確さ」において決して評判が良いとは言えないアレントではあるが、この部分には一定の説得力があるように思える。


書き留めておくべきことは、アレントの解釈が正しいとの可能性を考えた時、その瞬間にこそ私は戦慄したということである。謎めいていて、掴みどころがなく、不可思議なる立論としての「一般意志」。そのような神秘のヴェールをまとった何か不可能なる地平への探究を見るよりも、ヴェールの向こうに煌めく刃と生々しい息遣いを感じた時にこそ、私は慄いた。


もちろん、解釈は何も決せられてはいない。ただ、どのような解釈を採るにせよ、私たちは今なお、ルソーのテクストに臨んで驚きを禁じ得ることはできない。彼の前に立つなら、私たちはまず慄くべきなのである。


革命について (ちくま学芸文庫)

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社会契約論 (岩波文庫)

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社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫)

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