聖書をメガネに」の基盤、その5−1990年代、沖縄から東京キリス教学園の授業に通っている期間、渡邊公平先生との文通を中心とした交わりーその⑥

「聖書をメガネに」の基盤、その5−1990年代、沖縄から東京キリス教学園の授業に通っている期間、渡邊公平先生との文通を中心とした交わりーその⑥

「頌主
 過日は久し振りで訪問させて頂き、生涯決して忘れることのできない、実に意味深いときを与えて頂き心より感謝しております。沖縄へ帰って日々の務めの中に礼状が遅くなり失礼しました。
 10月26日には、同封の案内レジメにありますように、前基督教独立学園高等学校校長の武祐一郎先生による「科学技術とキリスト教」という講演会が、会堂の三階首里福音学生センターであり、幸いなときを持ちました。私の心からのプレゼントとして、渡辺公平先生の『現代に生きるクリスチャン』を、武先生に記念として差し上げることができ、愉悦でした。

10月21日、渡辺公平先生ばかりでなく、清子先生ともあのように興味深いお話を伺い、私なりに主の恵みを報告する機会を与えられ、本当に感謝でした。幸い、私のJCCの卒論は当時のタイプ印刷にされてあり、復刊(コピー印刷で)も考えております。その際には是非、清子先生にあのロシア文学のクラスのこと、渡辺公平先生が私のような者を長年に渡り導いてくださったことの恵みの証言(「渡辺は、『宮村先生は一番弟子だ』と言っているのですよ」を書いて頂き、序文にさせて頂けたらなどと、勝手な願いで心を一杯にさせています。
 
ICUの永田竹司先生とも、幸いなときを持ちました。彼の中にも渡辺公平先生を通し与えられたものが溢れているのを確認でき、継続ばかりか継承の恵みを深く身に感じました。伊江島主僕高校への夢をなお熱くしております。
 
帰宅後、JCC一年のときに書いたレポート(柳生先生の「聖書緒論」のクラス)をもう一度取り出してみました。渡辺公平先生に直接お会いする三年前、私がまだ十代のときのものです。その最後の部分のコピー(注、ある雑誌に、渡辺先生がバルトの自然啓示観について書いておられるもの)を同封し、改めて心よりの感謝の思いをお伝えします。
96年10月30日 宮村武夫
渡辺公平先生・清子先生」

★新井明先生、「ひとつ体の中で」(宮村武夫著作6『主よ、汝の十字架を我恥ずまじ ドストエフスキーの神学的一考察、他』、3,4頁、「宮村武夫先生のお名を知ったのは、三十年も前のことである。当時、大妻女子大学にいたわたしに日本女子大学福田陸太郎教授から突然の電話がはいり、日本女子大学の英文学科へきて、英語の聖書を教えてくれ、とのことであった。福田先生はせっかちなお方で、ただちにわたしの略歴等を送れ、というこ であった。否応なしのお求めであった。


あとで知ったことであるが、それまでは英文学科の渡邊清子教授のご夫君にあたる渡邊公平牧師がその科目の担当者であられた。同牧師がお辞めになるに及んで、学科は一九七八年度からの担当者を探していたらしい。新井は TheNewEnglishBible:ALiterarySelection(オックスフォ ―ド大学出版局、一九七五年)を船戸英夫氏との共編で出版していた。そのことが教授連の耳に入っていたのであろう。しかしわたしの着任の話は無に終わってくれた。そのときに公平牧師先生の愛弟子のお方が来てくださること になったと聞いた。そのお方が宮村武夫先生であった。よかった! と思ったことであった。・・・」