2000年11月1日 東京キリスト教え学園創立記念礼拝メッセージ 『保線夫として』 申命記三章1節〜11節                    宮村武夫 その4

2000年11月1日
東京キリスト教え学園創立記念礼拝メッセージ
『保線夫として』
申命記三章1節〜11節
                   宮村武夫 その4

★保身でなく保線、ホーク学長が提示し、私が従った道

[4]結び
 今朝、幾つもの制約の中ですが、「聖書で」東京キリスト教学園の歩みを、保線夫という一つの切口からごく限られた回顧を試みて来ました。最後に、二つの点に絞り、誤解を恐れずに、展望することが許されるなら、感謝であります。

(1)一つは、聖書神学舎・聖書宣教会と東京キリスト教学園との和解、一致です。
 六月二七日から三十日まで、日本伝道会議が沖縄で開催されました。福音にある和解というテーマです。その最初の集会、そして、最後の集会では、東京キリスト教学園と神学舎・聖書宣教会、二つの神学機関の責任者がメッセージを取り次いでくださいました。その責任者が語ったことを身をもって示す責任と特権が、ご両人ばかりでなく、両機関に直接、間接属する者にはあります。神学舎・聖書宣教会と東京キリスト教学園が、心底和解と一致の実を示し続け、それぞれに三多摩や千葉の地域に堅く根ざした神学教育を実践し続けることは、今回の日本伝道会議を開き、最も重要な責任の一端を担われた方々の義なる務め、義務ではないでしょうか。またお二人の指導者のもとで生きる共同体に直接、間接かかわる者の責任であり、特権であります。
 発言、宣言とその実践の課題は、いつも私たちが直面する課題です。私は、日本福音キリスト教会連合に属する教会の一員であり、牧師であり、この事実を感謝する者あります。私どもの群れも、戦後五十年を迎える中で、第二次世界大戦における日本の教会の罪を告白する文書を公にしました。その文書の重みを受け止めたいと願う一人として、足元の課題を無視できないのです。
 日本キリスト教団がその戦責告白をなした際、その痛みの中にある教会を対岸の火のように見て、はばたく福音派と私たちは言って来てしまったのではないか。その流れの中に属する私どもは、戦後の日本キリスト教団との生きたかかわりを持つことなく、その兄弟の痛みを真に担う意識を持たずに来たのではないか。それなのに、「教会の唯一のかしらであるイエス・キリストの名のもとに歩められた公同の教会の枝として、日本の教会に結び会わされてい」るとして、第二次世界大戦とそれに至る過程で日本の教会が犯した罪責を告白するのです。それでは。真に悔い改めとはどのように生きることなのか、この課題に直面します。
 さらに戦後の教会の歴史を背景に、日本福音キリスト教会連合の誕生までの経過、その成立後の歴史をどのように捉え、どのように見るか、いかに自らの歴史を回顧し展望するか、この足元の課題に直面しようとしないなら、戦前の既に死んでもの言わぬ人には勇ましく、同時代に生きている人には尾っぽを巻いていると言われてもしかたがない。日本福音キリスト教会連合の一教会に属する者として、戦責告白をめぐり心に問われることなのです。
 日本伝道会議、また然りです。日本伝道会議が真に実を結ぶことを期待するなら、二つの神学機関は、和解と一致を目指すべきと私は見ます。保線夫ドナルド・E・ホークが、いまだ壮年時代に、「聖書神学舎の三人の設立者の一人である自分は、今や全く発言する機会を与えられていない」と言ったのを聞いたなどとは、戯れ言または暴言なのか。
ほとんど同時期に進行し進展した、三神学校合同と日本福音キリスト教会連合の誕生の経過に同時に身を置いた者たちの一人として、いうところの和解は、まず二つの神学機関から始められるべきだと心より願うのです。そうでなければ、お二人の指導者がわざわざ沖縄まで来られて、和解の福音を語られた意味はどこにあるのか、そう自問せざるを得ないのです。
 最後にもう一つ、保線夫の生き方から学ぶことがありあす。それは、とにかく地域に根ざすことです。東京キリスト教学園が、「千葉から」とスローガンの中で明言しているように、実際にも徹底的に千葉に根差す。いつの日か、本当の千葉を知りたければ、千葉県庁よりは、東京基督教大学に行くべきだと人々をして言わしむ。本当の千葉の姿、それは聖書で千葉を読みつつ資料を集め、資料を集めつつ聖書で千葉を読む基督教大学が見抜くと。
 同様に、三多摩についても、御獄神社に見られる山岳宗教の日本歴史・社会への根深い影響の実態とそこからの解き放ちは、三多摩を聖書で読む、聖書神学舎の出版物に明示されていると。
 保線夫ドナルト・E・ホークが、戦後教派ごとにバラバラに建てられつつあった神学機関を、それなりに一つに結集しようと目指していたことは確かです。しかし今や、たとえばクリスチャン新聞の神学校特集を見るならば、なぜ、どうして、こんなにと思わされるほど、多種多様な機関が存在します。その現実を積極的に評価できる点があるとすれば、その一つは、地域に根差そうとする神学機関の姿です。関西は勿論のこと、北海道、東北、北陸、東海、四国、九州、沖縄、私が全く知らない多くの場所で、それぞれ真剣に教会形成を考える人々が、その保線区でで生きた神学教育機関を建てようとする、これは必然です。こうした現状の中で、二つの神学機関が、相手の喜びを喜びとしたり、痛みを痛みとする言及が一切ないような印刷物を各地の教会に送り、学生募集を争う、そんな図式が見えることでもあれば、それは、寂しいことです。
 今、東京キリスト教学園の五十年を回顧し、将来を展望するに当たり、保線に生き、聖なる公同の線路・教会のため身を捨てる一事を、あの先達保線夫から学びたいのです。
 一言お祈ります。
「父なる神様、制約の中で、何とかして聖書を、何とかして聖書でと願う者です。またその営みにおいて直面する、、御旨と現実のギャップに苦しむ者です。しかし主がこの学び舎を建て、学び舎を支え、この学び舎を用いてくださるお方ですから、主よ、ご自身のご栄光が、この学び舎を通しても現わされますように。主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン」