超大陸(4)

超大陸パンゲアの提唱者、ウエゲナーの死は、グリーンランドで遭難であったことは良く知られている。しかし、彼がなぜグリーンランドへ行ったのか?ということに言及したものに私はお目にかかったことがなかった。彼は気象学の講座の教授でもあったので、気象の観測であったのか?くらいに思っていた。
しかし、本書には、はっきりとその理由が記されている。彼は、大陸の移動の「観測」のために行ったのである。
ウエゲナーの大陸移動説は、手痛い反論にあっていた。
批判の内容は2つ。
1つは、大陸移動のメカニズムが物理的ではない、という数理物理学者からの攻撃。そして今ひとつは、大陸移動に都合のいいデータだけつまみ食いしている。それらは別の説明が可能だ、というもの。これは主に当時の地質学者からの反論である。特にアメリカの地質学者は、大陸(ドイツやフランス)の地質学者の頭から入る(理論から入る)お話が嫌いであり、若干の支持者を除いて、猛反発であったという。これらはどちらもわかり易い。

後者の反発は、検証されないストーリーを組み立てていた古典地質学の世界での無限ループだからわかり易い。最近まであったことだ。ひょっとすると今でもあるかもしれない。しかし、それは今日では、昨日紹介のロディニア大陸の分裂からパノニア超大陸の合体に至る仮説検証過程にみるように、ラカトシュ流の科学方法論によって克服されている。
即刻検証あるいは反証不能な仮説提示は単なるストーリーであり、科学の仮説とはいわない。10億年、1億年、千年後、百年後には分かるだろう等というのも駄目である。地球を全部調べれば分かるであろうというのも駄目、それは検証不能と言っているのと同じだからだ。

ウエゲナーへの反発の第一の点。数理物理学者からの反発。メカニズムがない、ということ。これは実は現代のプレートテクトニクスに対してでも必ずしも明確ではない。「え?マントル対流ではないの?」と思うかもしれない。しかし、厳密にプレートがプレートとして振る舞い、これまで記述されている運動としてのプレートテクトニクスが説明されきってはいない。

人々が説得され、事実として受け入れるためには、メカニズムを完全に理解しきるからではない。地磁気の逆転のメカニズムの完全理解はいまだ到達しないが、それを疑う科学者はいない。仮説の提示する大陸が動いているというまぎれもない事実を体験するということが説得を生む。本書によればウエゲナーがグリーンランドで求めたものは、それだったという。大陸移動説は、グリーンランドユーラシア大陸の分裂が現在進行形であることを示唆。その相対運動は軽度方向である。それは「星の運動を見て、両者の距離の変化を観測すれば見えるはず」という、大陸移動の「現在」を検証しようとしたというのだ。これは、地質学に貫いている「現在主義」そのものである。結果として、彼は遭難してしまう。観測したとしても現在GPSで観測されているレベルの年間数センチの動きでは、見えなかったはずであり、その意味では観測の結果、大きな挫折を余儀なくされたはず。が、そこに貫いている方法論は明確だ。大陸移動仮説を導いた過程はまぎれもなく、博物学的、古典地質学的手法であるが、その仮説検証方法の試みは現代科学であったのだ。地球の年齢さえまともにわかっていなかった時代、とんでもない野心的な挑戦であったのだ。

カニズム等解けなくとも、人がまず説得されるのは「疑いようのない事実」であり、その後に、それを「第一原理から出発して理論的に仕上がった時に真実として定着する」、ということだ。その意味ではメカニズムはいまだ完成はしていない。しかし、大陸移動を疑う者はいまやいない。最終決着はカーナビでおなじみのGPSで大陸の動きが見えたからだ。

大発見の多くは、事実を整理する「帰納過程」にあり、理論から出発する「演繹的過程」の多くは発見にではなく、事実の定着に貢献するという、科学の一般プロセスがここにもある。

森羅万象の複雑な自然から、地質学による、あるいは地球物理的観測による、地球にまつわる大発見は、今後もまだまだ続くであろう。
次は何かが楽しみである。
(おわり)