JamesChance来日

http://www.hillstone.jp/JamesChance.html

少年逃亡兵さんより
うぎゃあ。ぎゃあぎゃあ。なんなんだよ、アリに続いて。14日とか確か発表なんですけど。いやでもまじでチケット取ろうかな。お金あったら取る。んで行く。行くとしたら15か16。ははは、なんかもう笑けてきた。

『批評理論入門』廣野由美子

批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)
本書、第一部「小説技法篇」では、小説に用いられている手法にはどのようなものがあるかが示され(ナラトロジーポリフォニー、さらには異化やインターテクスチュアリティなど)第二部の「批評理論篇」では小説が読み解かれる際にどういった理論が使われてきたのか、(伝統的ともいえるジャンル批評や脱構築、ニューヒストリシズム等々)をテクスト『フランケンシュタイン』を使って解説していったもの。
深く知るためにはもちろんより詳しい評論に当たらなくてはいけないけれど、初歩的なガイド本としても、頭を整理するためのものとしても読める。でもそれより驚かされるのが『フランケンシュタイン』というテクストの豊かさ。いくつか納得しかねるものがあったりしはするけれど、ここまで多様な読みを許容してしまうとは思わなかった。文学理論に関心のある人は一度目を通してみるといいのでは。

『ポストコロニアリズム』本橋哲也

ポストコロニアリズム (岩波新書)
ファノン、サイードスピヴァクの三人を軸にポストコロニアリズムを解説した入門書。
これはまず上記の三人の理解を助けるためには良い解説書になってると思う。サイードはまぁいいとして、あまり顧みられない印象のファノンとなかなか手強い(と僕は思う)スピヴァクを取り扱っていて、しかもわかりやすい。この部分(第3〜5章)は読む価値があると思う。ただ一方で第六章”「日本」にとってポストコロニアリズムとは何か”。この章は正直、あまりいいものではないと思う。例えばアイヌについてのまとめの部分で筆者はこう書いている。

アイヌをめぐる歴史過程を国家の側から描くのではなく、アイヌ自身が歴史の主人公として立ち現れること。

もちろんなんとなーく言わんとしていることはわからないでもない。というかこうした身振りこそがポスコロだと思うけれど、その内容が見えてこない。ポスコロってこういうものですよと解説してきて、じゃあ日本の場合を考えてみましょう、その時どうすればいいのかというと、ポスコロをしたらいいんですよ。という同義反復じゃないのかな、これ。それに「アイヌ自身が歴史の主人公」になるのは、スピヴァクが批判する「知識人」が彼らを代弁してしまう、という場合にも起こりうることだろう。その陥穽についても言及はしておくべきなんじゃないかなぁ。ま、良書だけどとりあえず終章は自分の中でいろいろ確認しながら読んでいくべきだと思う。